樹木 希林
さぁ、癌になった。どう生きよう。
1961年に女優生活をスタートさせた樹木希林は、2013年、映画「わが母の記」で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞の受賞スピーチで、「私全身ガンなので、来年の仕事の約束はできないんですよ」と全身にガンを患っていることを発表しました。
「チャーリーズ・エンジェル」のTVシリーズなどで知られる女優のジャクリーン・スミスは、乳がんを告知されたときに、まったく予想外で次の瞬間には圧倒的な恐怖が襲ってきたといいますが、入院することになると、たくさんの友人や家族が常にジャクリーンを励まし続けていたために、ガンで最悪の状況にも関わらず、最も愛情にあふれた経験でもあったようです。
ジャクリーンはこの経験から、ガンは自分を目覚めさせてくれるきっかけであり、すべての瞬間をより良くしてくれるためのポジティブな変化だと捉えていますが、このような一般的には悪いとされる変化をポジティブに受け入れて、人生を前向きに生きていこうという考え方は、樹木希林の「さぁ、がんになった。どう生きよう。」という前向きな考え方にも通じるところがあるのかもしれません。
現代社会は、生命の誕生や生きるということの美点が強調されている一方、その真逆の死は遠ざけられ、身近なものではなくなっており、終末期医療が具体的に どのように行われているのかを健康な人はほとんど知ることがなく、死がタブー化してしまっていると社会学者のゴーラーが指摘しています。しかし最近は”終 活”という言葉も知られてきているように、死は一般的な関心事項になりつつあるようです。
樹木希林の「“生きるのも日常、死んでいくのも日常”。死は特別なものとして捉えられているが、死というのは悪いことではない。そういったことを伝えていくのもひとつの役目なのかなと思いました」という発言を受けて、ツイッターなどでは、普段は意識していない死について考えさせられた、というような投稿が多数あがっていますが、死を素直に見つめる樹木希林の考え方が人々に大きな感銘を与えたのは、死が身近な概念として認識され始めている世の中では当然のことだったのかもしれません。
樹木希林のガンに対する考え方は、幼いころから自分の「短気」というマイナス面を自覚していて、それによって孤独になったことはあったけれど、決して恥ずかしいとは思ったことはなく、自分の醜い部分も受け入れて、不自由を楽しんできたというエピソードにも表れています。
受け入れられないという考え方が支障をきたすのは、私たちが抱える職場や学校での対人関係にも当てはまり、私たちはつい周囲の人間を「良い人」「悪い人」と分けたり、「勝ち組」「負け組」などと考えたりして、損得勘定をしたり、選り好みをしてしまいがちですが、こういった二分的な思考は、行き過ぎると自分にも他人にも完璧を求めてしまい、受け入れられないとか、許せないといった感情を生み出し、完璧主義につながったり、些細なことが原因でうつ病になったりしてしまうと言われています。
死ぬことを受け入れていく姿は宮沢賢治の小説、「銀河鉄道の夜」の中で、生きていながら特別に銀河鉄道に乗ったジョバンニとともに旅をするカムパネルラの心の動きにも表れています。溺れた友達を助けて死んでしまったカムパネルラは、死後の世界へ行くために銀河鉄道へ乗っていますが、ジョバンニと旅を続けていくうちに、死ぬことは決して悲しいことではなく、自分が善いことをして死んだのだということに誇りを持ち、旅の中で死への肯定的な面を見出していく姿が美しく表現されています。
一方で、手塚治虫の「火の鳥」は、死を受け入れられない人たちが、永遠の命が手に入るという火の鳥の血を求めて、争いを繰り広げていくというストーリーですが、その中でも、美しさと永遠の命を求めるキャラクターの卑弥呼が、弟や親しい家臣などを自分の目的を邪魔するものとして排除し、最期には醜さや死を受け入れられないまま、泡を吹きながら哀れな姿で死んでいく姿が描かれていて、若さや生に執着し続けることが、苦しい結末を生み出すことを示しています。
最近では、今に意識を向け評価せずにただ観る「マインドフルネス」という心の持ち方が生まれたり、執着せずに「あるがまま」を見つめる思想が注目されていますが、森田療法という日本の心理療法でも、不快なことを排除するのではなく、あるがままに受け入れて、前向きに自己実現を目指していくことに取り組んでいて、世界の心理学者から注目を集めています。
この心理療法の専門家である精神科医の岩井寛医師は、ガンが体を蝕み、いつ脳に達するかわらない状況を受け入れて、自分の知識を後世に役立てるという目標のために、著書「森田療法」を記しました。
その中で、岩井医師の妻が続けて4度流産し、5回目に生まれた赤ん坊も生後まもなく亡くなってしまったときに、赤ん坊の遺伝的な疾患の可能性を調べるために解剖を頼み、赤ん坊の死を知らない妻のために赤ん坊の顔をスケッチしていたところ、看護婦に、「理性的」だとか「悲しみに耐えてよくそんなことができるものですね」と言われたことに対し、自分は理性的でもなんでもなく、深い悲しみをなんとか「あるがまま」にして、妻と今後の赤ん坊のために意識を向けていただけだというエピソードを語っています。(2)
樹木希林が、「今の日本を見ていると“水に流す”のも必要な考え方だなと思うようになりました。現代の日本において、一つ問題が起きると、徹底的にやっつけ、そこから何も生まれない」と述べているように、マイナス面を徹底的に悪いものとしてやっつけて、後には何も残らない現代の日本に疑問を感じているようですが、対人関係や病気など回避できない「不条理」があるのが当たり前なのが人生ですから、「良い」か「悪い」か、「美しい」か「醜い」かなど、すべてにシロクロつけるような対立的な価値観では息が詰まってしまいます。
昔から日本では、自分中心的な考え方から離れ、物事のありのままから感じる「もののあはれ」という美意識が息づいていて、文献学者の本居宣長が、美青年・光源氏と多数の女性の恋愛関係を描いた「源氏物語」に対して、「この物語、物の哀れを知るより他なし」と述べているように、揺れ動く心をそのままに感じることは、確固たる答えや強さはないけれど、人生の一瞬一瞬に発見のある、美しい生き方を創るものかもしれません。
1.ケン・シーガル「Think Simple―アップルを生みだす熱狂的哲学」(NHK出版,2012年) P73,P350,P479
2.岩井 寛「森田療法」(講談社,1986年) P45-47,P199-203