絵画保存修復家 岩井希久子
『これはキクコがやった修復だ』と言われるような修復ができるようになりたい。
時間の経過とともに傷んでしまった昔の絵画を修復する専門家「絵画修復家」は、日本では馴染みの薄い職業かもしれませんが、世界から評価されている修復家の一人として日本人女性・岩井希久子がいます。彼女は、多くの人が見たことのあるようなモネの「睡蓮の池」や、ゴッホの「ひまわり」といった名画の修復をも手掛けています。
絵画修復の本場イギリスで技術を学んで経験を積んだ岩井希久子は、女性の雇用機会がようやく開かれ始めた1980年代の日本で、当時はまだ珍しかったフリーランスの働き方を選び、偏見の目で見られながらも「期待される以上の仕事をしたい」と、体調を崩しても車椅子で仕事の現場に向かうほど、絵画修復の仕事に対して真摯に情熱を傾けてきました。
その原動力には、子供の頃から変わらない「絵が大好きだ」という強い思いが感じられます。高校生の時、どうしても本物の絵が見たいと仮病を使い学校を休んで展覧会へ行こうとしたことが見つかってしまい、地元駅を出る直前で引き戻されて望みが叶わなかった時のことについて「胸が締め付けられる思いだった」と語る様子からも、絵に対する並々ならぬ愛情があったことがうかがえます。(2)
アップル創業者のスティーブ・ジョブズは、取締役会から退任を迫られ、30歳の時にアップルを去りましたが、その後アップルの経営は悪化し、当時のCEOギル・アメリオに請われて、退任から10年以上が過ぎた1996年、ジョブズは再びアップルの経営に乗り出しました。そこからアップルがジョブズとともに復活を遂げたことは有名な話ですが、自らが起した会社を追われるという耐え難い苦渋を経験したジョブズがそれでも歩みを止めることなく、挑戦を続けられたのも「自分がやってきたことを心から愛していたからだ」と述べています。
思いもよらず、愛してやまなかったアップルを追放されるという失意のどん底を経験したジョブズは、「時として人生には頭をレンガで殴られるようなことが起こる」と語っていますが、たとえ心から愛する仕事であっても、順風満帆な時ばかりではありません。しかし、どのような困難が立ちはだかろうとも、本物の愛情があれば本質を追求することができ、局面打開につなげられる。ジョブズはアップル復帰時に15種類あった製品ラインを4種類に絞り込み、それが成功の一つの要因となったことについて、次のような言葉を残しています。
「女性を口説こうと思った時、ライバルの男がバラの花を10本贈ったら、君は15本贈るかい?そう思った時点で君の負けだ。ライバルが何をしようと関係ない。その女性が本当に何を望んでいるのかを、見極めることが重要なんだ。」
岩井希久子も、絵画に直接触れる修復は、実際は「破壊」と紙一重だと言っています。ピカソの「ギターのある静物」の修復をする際、失敗をすれば人類の宝ともいうべき名画を傷つけるとわかっていながら、このままでは劣化していくことが確実なその絵を「かわいそう」だと思う気持ちが抑えきれず、絵を未来に残していくために大手術を行ったそうです。
多くの修復家がそのリスクの大きさに尻込みしてしまうような場面でも、画家の思いに寄り添い、絵画にとって最善の方法を考える仕事の本質から目を反らさずに修復に挑み、絵画をより安全に保存できる方法を追求した結果、岩井希久子は修復家として世界で認められるようになり、日本の和紙を使った「IWAI保存パネル」のようなオリジナルのツールも生み出しました。
岩井希久子は、著書「絵画保存修復家 岩井希久子の生きる力」を執筆した58歳の時点で、理想は高くなるばかりで終わりはなく、修復家としての人生はまだまだこれからだと述べています。しかしイギリスで行われた調査では、55歳以上で働き続けたいという女性は、男性と比べて3分の1程度しかおらず、多くの人が働く理由として、「老後のため」や「ローンのため」などを挙げており、今の仕事を好きではないと答えていたそうです。(3)
スティーブ・ジョブズはスタンフォード大学の卒業式のスピーチで、「夢中になれるものがなければ見つかるまで探し続ければいい」と述べていますが、年を重ねても愛情を持てる仕事についていないケースは多く、それは世の中の多くの人が、目先の数字や他人の評価など、愛情を注げるかどうかとは別のところで仕事を選んでしまっているからなのかもしれません。
中学時代から良い成績をとるために先生の求めることだけをやってきたというショーン・エイケンは、大学を最高ランクの成績で卒業したにもかかわらず、自分には何もないことに気づき、自分が夢中になれるものを探すため、「One Week Job」というプロジェクトを立ち上げました。
彼は、プロジェクトの中で、毎週異なる仕事に携わりながら1年間で52個の仕事を経験し、そこで出会ったさまざまな人たちの中で自分の仕事に愛情を持っている人たちは、その仕事の背後にある意義に目を輝かせて語っていたそうです。
そのひとつとして農場で働いたときの経験をあげ、朝5時に起きて乳絞りをし、糞をシャベルですくうような作業ばかりで到底楽しいとは思えない仕事だったけれど、農場主はその仕事を楽しんでいて、次のように話しています。
「人は食べなきゃ生きていけないだろ?俺は何千人にも食べさせることができるんだ。それにうちは有機農場だから環境にとっても健康的なんだ。」
岩井希久子も、画家の思いを再現することを常に意識しながら修復作業をしていて、絵や画家に対する特別な思いや情熱の深さがうかがえるように、愛情を持つということが、自然と良い仕事に繋がっていくのかもしれません。その仕事への想いを彼女は次のように語っています。
「私は世界一、絵にやさしい修復をしたいと思っています。世界で通用するような技術で、『これはキクコがやった修復だ』、と言われるような修復ができるようになりたい。作家の魂を未来に残すために、作家の思いによりそい、作家の意図したことを伝え、作品にとって最善の状態を保つ修復をしたいと思っています。」(4)
修復する絵画は「生きもの」で、何もしなければ消滅してしまうその命を次の時代に手渡すことが自分の務めだという岩井希久子は、文化財の大切さをわからず、目先のものにはお金を出しても、長い目で物事を見て必要な予算を考えない行政の人たちに対して、「情けなくなる」「腹が立つ」と怒り、そして絵を見る人には、「愛情を持って見守ってほしい」と語りかけています。(5)
岩井希久子は、テレビ番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」の中のインタビューで、仕事に対してすごく愛情を持っていると同時に責任もあることから、絵画修復家の仕事を「母親」のようだと例えています。
子どもを産んで育てる母親の愛情はとてつもなく大きなエネルギーで、母親が子供に持つような愛情が仕事に注がれた時、それは他人の目や老後を気にすることよりもはるかに大きな原動力となり、素晴らしい仕事を成すことにつながるのかもしれません。
1.岩井希久子 「絵画保存修復家 岩井希久子の生きる力」(六耀社、2014年) p.83
2.岩井希久子 「絵画保存修復家 岩井希久子の生きる力」(六耀社、2014年) pp.26-27
3.岩井希久子 「絵画保存修復家 岩井希久子の生きる力」(六耀社、2014年) p.168
4.岩井希久子 「モネ、ゴッホ、ピカソも治療した絵のお医者さん 修復家・岩井希久子の仕事」(美術出版社、2013年) p.81, 91
5.岩井希久子 「絵画保存修復家 岩井希久子の生きる力」(六耀社、2014年) p.8, 186