吉岡秀人
何も決めないでいれば、今と同じ状況を明日に持ち越すだけ。今日と同じ明日を生きるな。
ミャンマーやカンボジアのような発展途上国で、貧しい人々への医療支援をするために設立された特定非営利活動法人ジャパンハート。その活動は2004年にミャンマーの村の一角にある病院からスタートし、今では年間約1万件を超える診療と、約1500件を超える手術を行うまでになっています。
このジャパンハートの創設者で、最高顧問を務めているのが吉岡秀人で、創設当初から世の中に認知されるまでの数年間の収入のない間、自分の貯金を切り崩して活動を続けていたといいます。
吉岡はどんなに治療で寝る暇もないくらいに忙しく辛くても、自分の意思でやると決めてやっているのだから、お金も生きていける程度あればいいと、支援を何よりも優先してきました。
このような吉岡の姿に感化された若い医師が、医療支援のために発展途上国に来るようになりましたが、想像を絶する忙しさから、連日の治療で辛そうな顔をしているのがほとんどなのだそうです。
そのような姿を見つけるたびに、吉岡は「自分の価値を再認識できる機会を与えられるのだから、自分のお金や時間や技術を使うのが当たり前だ」と叱咤激励を飛ばしています。
そんな吉岡が、医師となってからの人生の約半分を医療支援のために捧げ見つけた答えは、次のようなことなのだそうです。(1)
「人助けをすることによって、自分自身が価値ある人間、生きている意味のある人間であることを知りたかったからここにきたのだ。そのために人を助けるという方法を選んだのだ。」
医療支援を通して多くの人を救ってきた吉岡ですが、高校生時代を振り返れば、ほとんど学校に行かず、成績も最下位だったのだとか…。
高校を卒業して浪人をすることになっても、ほとんど勉強をせずに、ある時ふっと医者になろうと言い出した吉岡を、親は気が狂ったのではと心配し、いろいろな人が止めようとしたといいます。
吉岡自身、医者になると思いついたことは気の迷いだと振り払おうとするも、「不幸な人たちのために何かしたい。そのために、医者になりたい」という気持ちに迷いはありませんでした。
そして、自分の意思を曲げずに医学部を目指して気持ちを切り替え、受験に合格し、医者としての一歩を踏み出したのです。(2)
吉岡は医学部を卒業した後も、不幸な境遇の人たちのために医者になったという気持ちは変わることなく、自分が安定した生活を送るためのキャリアを歩むことよりも、最短で一人前の医者になろうと技術を磨いていきました。
当然、日本という先進国で医者として働いている月日が経てば、このままではいけないという焦りも湧いてくるわけですが、当時の吉岡は医者としての経験が浅く、一歩踏み出すには不安があったのも事実でした。
そんな時、「不安など抱かず、今行け、遠慮なく行け」と背中を押してくれたのは当時所属していた病院長でした。不安と決別して医師となった目的を実現するために歩みだしたこの時、吉岡は次のように述べています。(3)
「人は未踏の山を登ろうとするとき、何に一番時間をかけるだろう。スケジュールを立てる、道具を選ぶ……そうではない。登ろうと決心するまでの時間が、圧倒的に長いのである。」
「心さえ決めたら、後は早い。準備など動きながらでもできるものだ。でも、何も決めないでいれば、今と同じ状況を明日に持ち越すだけのことだ。今日と同じ明日を生きるな。」
人のために何かしたいという思いがあっても、行動せずにただ同じような毎日を繰り返している人が多くいるのが現実です。
助けたいという気持ちだけでミャンマーに行き、診療を始めた吉岡はその経験から、英語力がないとか経験が少ないからという理由で躊躇する人は医療支援には必要ないと断言し、次のように述べています。(4)
「大切なのは決心すること。『やる』と決心することなのだ。 そこからすべての縁は生まれる。もしかしたら、その人にとって次々と訪れるのは、『やれない理由』ばかりかもしれない。しかし『やる』と決心してみることだ。その決心があれば、『やれる理由』が少しずつ現れてくる。」
診療をする傍で、騙されて強制労働や人身売買の被害に合ってしまう人々を見てきた吉岡は、「ジャパンハート」の活動を、エイズや貧困、人身売買といった危険からミャンマーの子供達を保護する養育施設「Dream Train」を設立するところまで広げています。
1人でも多くの人が幸せな人生を歩むための手助けを行っていきたいとして、吉岡のブログでこのように述べています。
「尋常でないことが世の中に存在する。でも、それを阻止しようとする力があってもいいではないか、この世に。その力のひとつになりたい。そして、この世から、そんな悲しい光景を、ひとつでも減らしたい。ひとつ、またひとつ、と減らしてゆきたい。それこそが、私の目的だ。」
この施設「Dream Train」では、2010年の開設当初に27人を迎え入れ、2018年には150人を超える子供達がここで暮らしているそうです。
このように前例がない中で単身発展途上国に渡り、一つ一つ想いを形にしていった吉岡は、自分が描いてきた目的に向かって歩みだす決心さえすれば、あとは、真面目に、そして愚直にひたすらその目的に向かって走ることが大切だと考えています。
それは同時に、自分で決断して考えることをしなければ、その目的さえも次第に見失い、「他人にコントロールされた人生が生まれる」ということにもなるからです。(5)
本当に人のためになにかやりたいと思うのであれば、時間やお金なんて関係ありませんし、それらのことを考えている時点でやるべきではありません。
自分の時間もお金も人のために捧げ続けるのは、生半可な気持ちではできないことだというのは誰もが分かりきっているはずです。
それでも、何かを目指すきっかけと言うのは、吉岡が人を救うために医者になりたいと決心できたように、人のために何かしたいということが多いように思います。
誰かのために何かをすることによってこそ、人は自分の価値を再確認し、自分自身を本当の意味で活かしていけるのではないでしょうか。
1. 吉岡 秀人 「死にゆく子どもを救え―途上国医療現場の日記」(冨山房インターナショナル, 2009) p.4
2. 吉岡 秀人「飛べない鳥たちへ―無償無給の国際医療ボランティア「ジャパンハート」の挑戦」(風媒社, 2009) p.31
3. 吉岡 秀人「飛べない鳥たちへ―無償無給の国際医療ボランティア「ジャパンハート」の挑戦」(風媒社, 2009) p.45
4. 吉岡 秀人「飛べない鳥たちへ―無償無給の国際医療ボランティア「ジャパンハート」の挑戦」(風媒社, 2009) p.177
5. 吉岡 秀人 「死にゆく子どもを救え―途上国医療現場の日記」(冨山房インターナショナル, 2009) p.128