昭和を代表する詩人、茨木のり子
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ
現在の日本であれば、女子大生として青春を謳歌しているであろう19歳の時に終戦を経験した詩人・茨木のり子さんは、戦争で空腹や恐怖を感じて過ごしたことに対しての怒りを「わたしが一番きれいだったとき」という詩でこのように綴っています。(1)
「わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないころから
青空なんかが見えたりした」
「わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めたできれば長生きすることに」
こうした何十年も前に作られたのり子さんの詩は、現代であっても多くの人の心に響くものとしてあげられています。
時代を超えて評価される詩を生涯書き続けたのり子さんですが、詩の創作活動を始めたのは、医師の男性と結婚した24歳の時です。もともと、学生の時から戯曲を書いてたのり子さんは、20歳の時に読売新聞第1回戯曲募集に応募した作品が佳作に選ばれ、それをきっかけに女優の山本安英(やすえ)さんと出会いました。この出会いは彼女の詩人としての人生に大きな影響を与えたと言います。
表現者である安英さんは、当時の日本に対しての批評や批判を演技に凝縮して表現していたそうです。のり子さんはこうした安英さんの姿をみて、「なんとか詩を書くことでこうした思いを表現していきたい」「若い時に詩を書こうと思ったのだからやりきりたい」と思ったのだと述べています。(2)
こうして詩人としての道を歩み始めたのり子さんは、27歳の時に詩人仲間と同人誌『櫂』を立ち上げ、数々の作品を発表しました。『櫂』はその後、谷川俊太郎氏のような戦後を代表する詩人を多数輩出したことで知られています。
のり子さんは自らも詩を楽しむ一人として多くの詩人の作品に触れていく中で、読む人をはっとさせる詩について、次のように考えを述べています。(3)
「詩は感情の領分に属していて、感情の奥底から発したものでなければ他人の心に達することはできません。どんなに上手にソツなく作られていても『死んでいる詩』というのがあって、無残な屍をさらすのは、感情の耕しかたがたりず、生きた花を咲かせられなかったためでしょう。」
「感性といい、理性といい、右折左折の交通標識のように、はっきり二分されるものではないようです。私の好きな詩は、私の感情と理智を同時に満足させてくれるからです。」
東京で愛する伴侶と暮らしながら、詩人として多くの作品を発表し活躍していったのり子さんでしたが、49歳の時に伴侶を肝臓癌で失くしてしまいます。このことは、のり子さんにとって堪え難い悲しい出来事で、その深い悲しみを振り切り乗り越えようともがき続けました。
そして、伴侶の死から2年後に『自分の感受性くらい』という詩を書きました。戦争のせいで娯楽も芸術もなくなった青春時代に、のり子さんが当時自分を取り巻く環境について感じていたことが、この詩の中でこのように綴られています。(4)
「ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて」
「駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守ればかものよ」
一人で暮らすようになったのり子さんは、自分の抱えている孤独をもろともせず詩人として生涯作品を創作し続けていきました。
そして、自分の最期でさえも遺書には、「『あの人も逝ったか』と一瞬、たったの一瞬思い出してくれればそれで十分でございます」と書き綴られていたそうで、亡くなるときまでこうした誰かに頼ったり、依存したりせずに強く生きていくということはのり子さんの生き方そのものでした。(5)
のり子さんの心には、ドイツへ留学経験のある彼女の父が日本人に足りないのは独立心であり自分の足で立って生きなければならないと言っていたことがずっと残っていたのだとも言います。
こうした思いを人生を積み重ねる上で心の中で大切に育て、のり子さんは73歳の時に『倚りかからず』という詩で次のように表現しています。(6)
「もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい」
テクノロジーが発展して生活がより豊かになったとしても、昔も今も人の心は変わっていないからこそ、「自分の感受性くらい 自分で守ればかものよ」と言った言葉をはじめとするのり子さんの詩は、多くの人にとって身の引き締まる思いがするものなのではないでしょうか。
誰かのせい、何かのせいにせずに生きていくことこそが、のり子さんのようにどんな激動の時代にあっても、どんな哀しみを背負っても、自分の軸を見失わずに生きていく方法なのかもしれません。
1. 茨木のり子 「おんなのことば」(童話屋,1994) p.48
2. 茨木のり子 「倚りかからず」(筑摩書房,2007) p.132
3. 茨木のり子 「詩のこころを読む」(岩波書店,1979) p.88
4. 茨木のり子 「おんなのことば」(童話屋,1994) p.14
5. 茨木のり子 「茨木のり子の家」 (平凡社,2010) p.119
6. 茨木のり子 「倚りかからず」(筑摩書房,2007) p.62