ミウッチャ・プラダ
美しいものは美しくない。集団から逃走することが世界をあっと言わせる真の美しさ。
ファスト・ファッションによる資本主義的な大量消費社会の登場によって、誰もが流行を追い、最先端の服を身につけることができる「ファッションの民主主義」の時代を迎えています。
目まぐるしい流行の変化に影響され、毎日の着こなしに右往左往している私たちは、時代が進むにつれて、ただただ「個性」を失っていっているだけではないかと、ニューヨーク在住の作家、エリザベス・クラインは指摘しましたが、現代の日本の状況を見てもそれは正しいのかもしれません。(1)
プラダを手がけるイタリア人デザイナー、ミウッチャ・プラダは、美しいものは美しくなく、集団から逃走することが美しいという独自の哲学を持っており、彼女のアシスタントの一人だったローレンス・スティールは次のように述べています。
「ミウッチャの衣服は万人向きではない。まるでラジオの周波数のようだ。受信するには、その周波数に合わせなければいけない。」
また、独創性を表現することに自らの人生を捧げた岡本太郎も、「“あらきれいねえ”と言われるような絵は、相対的な価値しか持っていない。その時代の承認済みの型、味わい、つまり流行に当てはまって抵抗がない。」と述べており、ミウッチャも岡本太郎も、万人が認めるその時代の型にはまった美しさには全く価値を置いていませんでした。
ミウッチャはファッションの流行は社会の死だと断言し、流行が美しさを測る基準となってしまっている現代社会のファッションを痛烈に批判しています。
プラダが発表するコレクションは独特で、毎年のように物議を醸し出すことで有名ですが、デザイナーのジョルジオ・アルマーニは、プラダのコレクションは「時として醜い」とさえ評価しています。
ミウッチャは常に「反トレンド」の精神を貫き、決して万人受けするような服は作らず、ミウッチャが母親に頼まれて、プラダの経営に携わるようになった時代に活躍していたデザイナーたちについて次のように語りました。
「80年代の有名デザイナーや成功者たち、それにそういった人たちの哲学は、好きになれなかった。個性を捨てた売れ筋狙いのものばかりに見えたから。世の中を喜ばせたがる女性、自分というもののない女性のためのもの、という印象があったわ。」(4)
絶対的な「反トレンド」を目指すミウッチャ・スタイルは、幼い頃からその性格に現れ、厳格なカトリックの家庭に生まれた彼女は、母親から強制される保守的なファッションに我慢ができなくなり、「ピンク色の服を着たい」という夢を見ることからファッションへの情熱が生まれていったと言います。
高校時代には、「学校では、ミウッチャは他の誰とも異なり、他の生徒たちと同じような服は着ていませんでした。」と姉のマリーナが述べているように、すでに彼女の哲学である、集団から逃走する美しさ、「反トレンド」のスタイルを目指していたことがわかります。(5)
今も語り継がれるミウッチャの伝説の一つに、大学生の彼女が共産主義のデモに参加したときに、「フランス最高のアトリエの顧客にふさわしい衣服」と称されたイヴ・サンローランなどのハイブランド衣服を身にまとってビラを配ったという話があります。
彼女は「政治的な論争はもちろんのこと、最新ファッションを身につけることでも、他の人に圧倒的な差をつけて一番になりたかった」として、ファッションに対する考えを次のように述べています。
「どんなときでも自分らしい服を身につけなければいけません。たとえそれが難しくてもです。自分らしい着こなしを見つけるまでの過程は、セラピーに似ています。内面と深く関わる行為なので。」(6)
ミウッチャはファッションにおいて、「なにが女性らしいか」「なにがセクシーとされるか」を考えて着こなしに悩むのは見当外れであり、それよりもファッションは自分の内面と深く向き合って、「自分らしい着こなし」を見つけるための行為だと断言しています。
また、自分のスタイルだけが正しいと主張したり、他人のものでもどれかひとつが正解だと言い張ったりするものではないのだとも語っています。
その人を外側に映し出すファッションは、会話のように使える道具でもあり、ファッションを通じて表現したい何かや、自分がどんな服を着たいかを探し求める過程は、自分自身の内面と真摯に向き合い、もっと自分のことをよく知ろうとする「セラピー」なのだといいます。(7)
最近では、ファッションと心理学の知識を併せ持つファッション・セラピストやファッション心理学者と呼ばれる人々が注目されています。
その中の一人で、モデルとしての経歴と心理学の修士号を持っているダウン・カレンさんによれば、ファッション・セラピストとしての仕事とは、内面の自己と人の目に映る自分との間のギャップを埋める「橋渡し」をすることだと言います。
彼女は、たとえ素晴らしいデザインの服で自分の外側を着飾ったとしても、その服が自分にふさわしくないのではないかと感じ、居心地の悪さを感じてしまう人が多いと話しています。
着ている服に居心地の悪さを感じる原因は、自分の内面と着飾った自分との間に存在する「自分にこの服は不適切だ」と感じる心理的要因であるとも言います。
人々にただ似合うものや、流行のものを選んであげるだけでは、すぐに元に戻ってしまうため、カウンセリングを重ねて内側の原因を解きほぐし、最終的には、トレンドやモードとは関係ない、その人にとって「トレードマーク」となるファッションを創ることが、その人に自信を持たせるようになっていきます。
数年前、アイリス・アプウェルという94歳のインテリアデザイナーが、ドキュメンタリーとして映画化され、世界中の注目を集めました。
彼女は、独創的な着こなしやスタイルに定評があり、あるインタビューの中で、「どういうふうに見えるかは、どういう人間かを反映するもの。パーソナリティがない人間は、それが露呈した服の着方をする。」と述べ、一人一人には違う人生や考え方があるのに、人の目や社会のルールを気にして自分の着たい服を着ず、「世の中のいわゆる完璧なコーディネート」をなぞった着こなしをするなんてバカげていると語っています。
ミウッチャは「衣服は頭の中のことを表現する手段」とも述べています。
広告や雑誌によってモードやトレンドを推されるがままに消費しても満足感はなく、私たち一人ひとりが心から楽しいと思えるファッションは、自分の内面と向き合い、自分自身とのコミュニケーションを積み重ねて初めて、たどり着くことができるのかもしれません。(8)
1.エリザベス・L・クライン「ファストファッション:クローゼットの中の憂鬱」(春秋社、2014) pp.11-13
2.岡本太郎「自分の中に毒を持て」(青春出版社、2013) Kindle p.1540
3.ジャン=ルイジ・パラッキーニ「プラダ 選ばれる理由」(実業之日本社、2015) pp.12, 110
4.ジャン=ルイジ・パラッキーニ「プラダ 選ばれる理由」(実業之日本社、2015) p.134
5.ジャン=ルイジ・パラッキーニ「プラダ 選ばれる理由」(実業之日本社、2015) pp.42-44
6.ジャン=ルイジ・パラッキーニ「プラダ 選ばれる理由」(実業之日本社、2015) p.50
7.ジャン=ルイジ・パラッキーニ「プラダ 選ばれる理由」(実業之日本社、2015) p.140
8.ジャン=ルイジ・パラッキーニ「プラダ 選ばれる理由」(実業之日本社、2015) p.150