ストーリー

One Life, One Thought
Vol. 47

ビアトリクス・ポター ピーターラビットの作者

永遠の子供のほうが独立心の強い大人なのです

2017/04/20

Illustrated by KIWABI - Helen Beatrix Potter

111ヶ国で1億部のベストセラーとなり、世界で一番愛されるうさぎ「ピーターラビット」を生み出したビアトリクス・ポターは、幼い頃から身体が弱く、また躾の厳しい両親の下で育ったため、他の子供たちとの交流を禁じられ、学校には行かず、家の中で教育を受けていました。

ビアトリクスはそんな生まれ育った家について「好きではない生家」と呼ぶ一方、「ありがたいことに、わたしは放任されていたので、学校に行かなくてすんだ。学校に行っていたら、独創性が失われていただろう」と述べています。(1)

↑学校に行っていたら独創性は失われていただろう (リンク)

↑学校に行っていたら独創性は失われていただろう (リンク

何にも干渉をされていない純粋な子供の心のまま育ったビアトリクスは、動物や昆虫に大きな興味を持ち、それらをただ観察して詳細にスケッチするだけでなく、飼っていた動物が死ぬと死体を解剖し、骨だけが残るまで煮て、その骨格を細部に至るまでスケッチしていました。その異常なまでに熱心な姿からは、ビアトリクスが動物の真の姿をありのままに理解したいと尽力してきた様子が表れています。

ピーターラビット・シリーズには、助かるのか食べられてしまうのかわからない状況にいきなり放り込まれる動物たちがたくさん登場しており、動物たちに感情を持たせながらも、愛や死といったものを感傷的に描かないビアトリクスの作品スタイルは、人々に本当の意味で動物を見るきっかけを与えてくれたものとして、大英図書館で紹介されたことがある程です。(2)

↑彼女の絵は人々に本当の意味で動物を見るきっかけを与えてくれた (リンク)

↑彼女の絵は人々に本当の意味で動物を見るきっかけを与えてくれた (リンク

そんなビアトリクスは、「子供の魂の世界を守ることよりも、美しいことはありません」と話し、子供時代に多くのインスピレーションを与えてくれた田舎の自然や、動物こそ守るべき資産だと考え、ピーターラビットの絵本の収入を使い、ナショナル・トラストとともに湖水地方の環境保護活動に生涯を捧げました。

中でも極めて「英雄的な挑戦」と称えられているのが、ビアトリクス自身も「途方もない範囲に散らばっている」と表現したモンク・コニストンという地域の保全で、ナショナル・トラストよりも個人の方が速やかに行動を起こすことができると考えたビアトリクスは、約4,000エーカー分の農場(東京ドーム約360個分)と森林と山をすべて個人で購入したのです。(3)

↑約4,000エーカー分の農場と森林と山をすべて個人の資産で購入し、自然を守った (リンク)

↑約4,000エーカー分の農場と森林と山をすべて個人の資産で購入し、自然を守った (リンク

自然環境保護におけるナショナル・トラストへの協力や、ピーターラビット基金を設立し、その収益金で疾病児童援助協会心臓専門病院にベッドを送るなど、絵本作家から慈善事業活動まで、ビアトリクスが残した財産は多大なるものです。それと同じくらいの意気込みで、夢中になって集めた骨董品や雑貨などを、大好きな湖水地方のヒルトップの家の中にたくさん所有していたビアトリクスは、自分を「永遠の子ども」と表現し、次のように述べています。(4)

「世間の評価を気にしなかったおかげで、わたしはピーターラビット・シリーズを出し続けられたのだと思っています。ほとんどの作家は一度作品が売れると、次にそれに劣らないものを書かなければならないというプレッシャーで、個性を出せなくなってしまうものです。」

↑ほとんどの作家は、一度作品が売れると、それに劣らないものを書き続けなければならないという世間の評価に潰されてしまう (リンク)

↑ほとんどの作家は、一度作品が売れると、それに劣らないものを書き続けなければならないという世間の評価に潰されてしまう (リンク

そんな世間について、日本を代表するコピーライターであり、ウェブサイト「ほぼ日刊イトイ」を主催する糸井重里は「なにか失言の候補があると、ピラニアの群れのように寄ってたかって食い尽くそうとする世間がある。そこにもまたそういうものを見物させる市場がある。切ないから、黙ることになる。誰か、こういう社会にしたかったのだろうか」と述べています

SNSが普及した今日の社会では、良いことも悪いことも瞬く間に世間に拡散することで、誰もが賞賛を浴び、またバッシングを受ける対象になり、側にはいつも自分を見ている社会があるのだと、強く意識せざるをえません。そんな世の中において、言いたいことを言い、やりたいことをやる上で、世間の目線を切り離すのは難しいでしょう。

↑側にはいつも自分を見ている社会がある (リンク)

↑側にはいつも自分を見ている社会がある (リンク

人と群れず、定住する国も持たずにカバン一つで世界中を飛び回り、1日4時間の労働で成果を出せばよいと考えるクリエイターの高城剛は、SNSもやらないそうで、あえて情報を取り入れないスタンスで世間と距離をとっており、そんな自分を客観的に見て次のように語りました

「人と違うなと思う部分は、好奇心旺盛でいたずら好きなまま今に至るところ。また、問題児だと言われていた。ただ、問題児=人とは違うということ。決して悪いことではない。」

↑問題児のまま育つには、情報から距離を置くことが必要 (リンク)

↑問題児のまま育つには、情報から距離を置くことが必要 (リンク

大学の定員割れが続いている大学全入時代の中で、今なお一目を置かれる存在の東京藝術大学は、「人にどう見られるか気にしなくていいところ」という文化があり、レディー・ガガの靴を手がけたシューズデザイナーをはじめ、大河ドラマのテーマ曲の作曲家、ディズニーシーの火山を作った彫刻家、そしてディズニーランドのショー音楽製作者など、飛び抜けた仕事人を輩出してきました。(5)(6)

作家の二宮敦人の著書「最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常」によると、東京藝術大学の平成27年度の進路状況は、卒業生のうち就職をした人が10%程度で、「進路未定・他」がほぼ半数、そしてかなりの数が行方不明で追いかけられない状態なのだそうです。(7)

↑「人にどう見られるか気にしなくていいところ」から飛び抜けた仕事人が輩出される (リンク)

↑「人にどう見られるか気にしなくていいところ」から飛び抜けた仕事人が輩出される (リンク

東京藝術大学では、フェンス一つで接している上野動物園から学生がペンギンの死体を貰い受け、一時的に染織専攻の冷蔵庫に保存し、それを教授が見つけて大騒ぎになるなど学校とは思えない事件が日常茶飯事なのだそうで、そんな学生たちに就職を斡旋してあげないと生きていけないだろうと考えるほうが間違っているのかもしれません。

ピーターラビットのキャラクターも、親や年配者の言いつけを守らずに皮膚をはがされそうになったり、人間に捕まったり、ハラハラするような事件を巻き起こしますが、ビアトリクスはピーターラビットの人気の秘密が、独立心を持ったキャラクターにあると考え、次のように話しています。(8)

「ピーターがこれほどまで長生きしている魅力の秘密はなんでしょう、自分でもまったくわかりません。たぶん、ピーターもその仲間たちも、自分のしていることにいそがしく没頭して、ひたすらわが道を進みつづけているからでしょうか。みんないつも独立自尊ですから。」

↑周りを気にせず自分のやりたいことに没頭した結果、周りを楽しませる才能を発揮する (リンク)

↑周りを気にせず自分のやりたいことに没頭した結果、周りを楽しませる才能を発揮する (リンク

学校に行かなかったことがきっかけで、多くの人や情報と接することがなかったビアトリクスは、世間との距離感の中で生まれた独創性を武器に、純粋に興味が湧いたものを徹底的に追いかけ続け、ピーターラビットを世に生み出し、遠い存在だった世間の人々に幸せを与えました。

本当の意味で独立した人には、自ら人とつながる必要性はなく、世間という安心を求めなくとも、ビアトリクスのように魂の部分で社会や他者に依存せず、自分のやりたいことを自分で考え、実行できている人であり、子供の頃の純真無垢な好奇心を忘れない人なのではないでしょうか。

 

参考書籍
1.サラ・グリストウッド「ピーターラビットの生みの親ビアトリクス・ポター物語」(2016年、株式会社スペースシャワーネットワーク)P20
2.サラ・グリストウッド「ピーターラビットの生みの親ビアトリクス・ポター物語」(2016年、株式会社スペースシャワーネットワーク)P148
3.サラ・グリストウッド「ピーターラビットの生みの親ビアトリクス・ポター物語」(2016年、株式会社スペースシャワーネットワーク)P126〜127
4.サラ・グリストウッド「ピーターラビットの生みの親ビアトリクス・ポター物語」(2016年、株式会社スペースシャワーネットワーク)P93
5.二宮敦人「最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常」(2016年、株式会社新潮社)P251
6.二宮敦人「最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常」(2016年、株式会社新潮社)P233
7.二宮敦人「最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常」(2016年、株式会社新潮社)P232
8.ジュディ・テイラー「ビアトリクス・ポター描き、語り、田園をいつくしんだ人」(2001年、株式会社福音館書店)P280