ストーリー

One Life, One Thought
Vol. 46

黒澤明

優れた小説や戯曲を読むべきだ。“名作”と呼ばれる訳、作者の考え、読んだ時に湧き上がる感情、全て掴み取るまで、徹底的に読み込まないと。

2017/04/13

出典:http://www.nihonjapangiappone.com

2010年にGoogleが世界中で発行された本の数を調べるために行った計算によると、ルネサンス以降に発行された本は世界で約1億3千万冊、なんと日本の人口とほぼ同じくらいの冊数だそうです

これら全ての本を読むということは到底無理な話で、人はそれぞれ自分なりの基準を持って本選びをしていると思いますが、いわゆる成功者と呼ばれる人とそうでない人では、本の選び方に違いがあるそうで、成功者は新たな知識を得るために読書をし、そうでない人は楽しむために本を読むといいます。

成功者達は偉人たちの自伝を特に好み、人生の道しるべやインスピレーションの源とし、啓蒙書や学術書からは新たな知識や考え方を学ぶのだそうで、世界一の投資家として知られる、ウォーレン・バフェット氏はキャリアをスタートした当初、なんと1日に600-1000ページを読んでいたらしく、大富豪となった今でも、1日のうち80%を読書に費やすのだそうです。

↑世界一の大富豪は1日の80%を読書に使う (リンク)

↑世界一の大富豪は1日の80%を読書に使う (リンク)

“世界のクロサワ”と呼ばれ、日本だけでなく世界の映画製作に大きな影響を与えた黒澤明監督は、映画監督になりたい若者たちに脚本を書くことを強く勧めていて、その際のアドバイスとして次のように述べました。

「世界中の優れた小説や戯曲を読むべきだ。それらがなぜ“名作”と呼ばれるのか、考えてみる必要がある。作品を読みながら湧き起こってくる感情はどこから来るのか?登場人物の描写やストーリー展開に、どうして作者は熱を入れて書かねばならなかったのか?こういったことを全て掴み取るまで、徹底的に読み込まなくてはならない。」

ハリーポッターの著者J.K.ローリング氏は1日に500~1000字、「スタンド・バイ・ミー」の著者であるスティーブン・キング氏は1日に2000字ほどしか書けないように、バズることだけを目的としたジャンクコンテンツとは違い、名作には作者の思いと時間が込められていて、それを読み取ることが他人を理解することにつながると黒澤明は言います。

↑本当の名作というものは、1日に数百文字しか書けない (リンク)

↑本当の名作というものは、1日に数百文字しか書けない (リンク)

お金のない学生時代に食事代や交通費を節約し、洋服や趣味のものにお金を回したことがある人は多いと思いますが、黒澤明も青年のころ、電車賃を浮かせては本を買い読みふけっていたそうで、彼は本について、「自分が生まれていない時代のことや、大装備していかなければならない秘境の地のことだって、知ることができるタイムマシンのようで有難い」と述べていて、彼の作品の多くは、この時期に溜め込んだ記憶に基づいているのかもしれません。

小説や映画に名作があるように、勝負事にも名試合というものがあり、例えば将棋棋士達は過去の名勝負を徹底的に研究して自分の糧とし、試合に活かします。そして、時の流れとともに有効な手として認められれば、それは定石となります。

プロの将棋棋士は、時間をかければ1000手先を読むことができ、第十四代名人である木村義雄名人ともなると、なんと一睨みで2000手先を読めたと言われていますが、これは棋士の人たちが、一般の人に比べて群を抜いて先を読むことが得意というわけではなく、過去の棋士達が残した定石をベースとして先を読んでいるから可能なのだそうです。(1)

↑未来は書籍に書かれていないが、未来は過去の延長上に必ず存在する (リンク)

↑未来は書籍に書かれていないが、未来は過去の延長上に必ず存在する (リンク)

それならば、とにかく定石を勉強すれば将棋の名人になれるのかというとそうではないらしく、多くの定石と戦型が研究されている中、基本的な発想自体は天才棋士と呼ばれている羽生善治氏も普通の棋士も変わらないけれども、定石に基づいた読みだけで勝てるほど将棋は甘くないと羽生氏は語り、定石を積み上げ、試行錯誤した先に自然と棋士の個性が出て、そこで勝負の勝ち負けが決まるのだそうです。(1)

囲碁の世界で、初心者が定石を真似ただけの状態を「定石を覚えて二子弱くなり」と揶揄されることがあるように、どのような世界でも過去の例をただそのまま鵜呑みにしただけでは一人前にはなれないようで、黒澤監督は北野武氏との対談の中で、ただ名作を真似ただけであったり、テンプレートに沿っただけの撮影方法を使おうとする助監督達へのコメントとして、次のように北野氏に語りかけ、それに対し北野氏も次のように応じました。

黒澤「映画だからこうしなきゃいけないってことはない。。。ある映画の常識みたいなのがあって、それにはまって撮らなきゃいけないってみんな考えているらしいけど、そうじゃないんだよね。」

北野「その人の癖が出てない。」

↑その人の癖が出てない (リンク)

↑その人の癖が出てない (リンク)

2013年に文化庁が行った「国語に関する世論調査」によると、1ヶ月に本を一冊も読まない人が全体の47.5%を占め、その数は年々増加の一途をたどっています。

読書離れが若者の考え方にどのような影響を与えているのかを調べるため、筑波大学の逸村裕教授は、1日の読書時間がゼロの学生と2時間の学生をインターネットや図書館の本を自由に利用出来る環境に置き、1時間である事柄に対する自分の意見を1500字以内にまとめる課題を出しました。

1日に2時間読書をする学生は、ある事柄に関する本を図書館から数冊見つけ、読み、自分なりの考えを構築し、一貫性のある文章を書き上げたといいます。その一方で、読書時間がゼロの学生はリサーチをインターネットで広範囲に行い、見つけた記事が必要かどうかわずか1秒で判断するなど情報処理能力は高かったのですが、必要と判断した記事を時間をかけて読み込むことはせず、記事の一部をコピーし貼り付け、そこに手を加え、最後に自分の意見を添えただけの一貫性のない文章を提出しました。

ここで注目したいのは、読書時間がゼロの学生はネット上にあった短い記事でさえも読む必要がないと判断した、もしくは読み込む耐久力がなかったことです。黒澤が名作を読めと勧めている理由の一つとして、少し難解な内容の多い名作を根気よく読み解くことによって、耐久力が身につくからだと思われます。

名作と呼ばれている作品には、一辺倒で説明できる単純なものは少なく、様々な視点から考えることができる作品が多いので、パッと見で分かった気になりがちな若者に、深く考えることの意義を教えてくれるのかもしれません。

↑読書しない人は創造性のかけらもない (リンク)

↑読書しない人は創造性のかけらもない (リンク)

黒澤明は、脚本を書くことを山登りに例え、すぐに頂上を見てしまい、その山頂の高さに諦めてしまう若者が多い事を指摘し、「耐えて。投げ出したら終わりだ。いっぺんでも投げ出したら癖がついちゃう」と、クオリティーはどうであれ、とにかく最後まで書き抜くことが大事だと語っています。

「高い山は、それを見るものが高いところへ登れば登るほど、高く見える。文学にしても芸術にしても、自分の成長にしたがって、より深淵が見えてくる。そんな単純なことにも私は気付いていなかった」と、黒澤は自伝の中で若かりし頃について綴りました。(2)

ネットサーフィンに費やされている時間は1日2時間とも言われますが、無意識のうちに広く浅くネタを集めることに費やされていた時間を、名作と呼ばれる本を読むことにあてれば、その本が理解できるようになるにつれて自分が磨かれていっているのだと感じることができ、去年よりも今年の自分のほうが素敵だと自分に惚れ直すことできることでしょう。

 

参考書籍
1.羽生義治 「直観力」 (2013、PHP研究所) Kindle 218-254
2.黒澤明 「蝦蟇の油 自伝のようなもの」 (2001、岩波現代文庫) p.198