ストーリー

One Life, One Thought
Vol. 45

ジュンパ・ラヒリ

知らない単語は、この世界にわたしの知らないことがたくさんあることを思い出させてくれる

2017/04/06

Illustrated by KIWABI - Jhumpa Lahiri

アメリカのジャーナリズムで最も権威のあるピューリッツァー賞や、優れた短編小説に贈られるオー・ヘンリー賞を受賞してきた作家ジュンパ・ラヒリは、インドのベンガル地方出身の両親の元に生まれながら、育った国はアメリカであったため、幼い頃から自らのアイデンティティーに疑問を持ち続けてきました。

一番扱える言語は英語なのに、その見た目ゆえにアメリカ人としては見られづらい一方、両親の母語であるベンガル語はネイティブ並みには扱えないため、完全なベンガル人として認めてもらうことも叶わず、アメリカとベンガル地方の二つのどちらかに落ち着くことのない「宙ぶらりん」な存在としての自分を感じ続けてきたと彼女は語ります。

「わたしにはあいまいな二つの面があった。わたしが感じていた、そしていまもときどき感じる不安は、役に立たないという感覚、期待はずれな存在だという感覚に由来する。」(1)

母語であるベンガル語が使えなかった疎外感からか、故郷から届くベンガル語の手紙を大切にしていた母親のことを、「いつも何かの喪に服しているように見えた」とジュンパは語りますが、言語と密接につながる人の姿は、そこまで人生にしみこんでいるような言語をもたないジュンパを浮き彫りにさせていたのかもしれません。

↑母にとっては母語の手紙だけが自分の存在を確認する手段だった (リンク)

↑母にとっては母語の手紙だけが自分の存在を確認する手段だった (リンク)

「小さいころからわたしは、自分の不完全さを忘れるため、人生の背景に身を隠すために書いている」と語り、短編集『停電の夜に』でピューリッツァー賞を授与してなお、書いていないときは不安だったという彼女は、文章を書くということで不安を完治させることはできず、ただ飲み続けなければいけない対症療法の薬のような役割を果たしていました。

そのような中で、1994年に旅をしたイタリアでの、全く意味も分からないイタリア語との出会いは彼女にとって「雷の一撃」であったそうです。イタリア語は単語が英語に似ていて、音の響きがベンガル語に似ているため、イタリア語を学ぶことは同時にジュンパを宙ぶらりんにしてきた2つの言語の理解を深めることに繋がり、長い間彼女の中で起きていた英語話者としての自分と、ベンガル語話者としての自分のアイデンティティーの対立に終止符を打つことができました。

↑イタリア語を学ぶことで、自分のアイデンティティーを確立していく (リンク)

↑イタリア語を学ぶことで、自分のアイデンティティーを確立していく (リンク)

ジュンパは地道にイタリア語を学び、イタリア留学を果たし、今ではイタリア語での小説を発表するほどにまでなりましたが、それでもイタリア語を完全に操れるかというと全くそうではなく、むしろ、学べば学ぶほど自分とイタリア語との間の壁は大きくなるばかりで、絶望感に涙することもあるほどでした。それでも彼女は、到達不可能に思えるからこそ、イタリア語は彼女にとって「救い」なのだと言い切ります。

ジュンパはずっと、自分を鏡に映してもそこにあるのは空白で、空白から逃げるために「別の人間になりたい」と願っていたほどでしたが、イタリア語との出会いを通じて、不完全さがびっくりするほど明瞭に自分自身を深く意識させ、創造を刺激するものなのだと気づかされ、「空白」の存在を積極的に受け入れられるようになっていきました。(2)

「空白こそがわたしの原点であり、運命でもあると思う。この空白から、このありとあらゆる不確かさから、創造への衝動が生まれる。」(3)

↑自分の不確かさという空白を埋めるために書き続ける (リンク)

↑自分の不確かさという空白を埋めるために書き続ける (リンク)

確かに、航空業界や医療の分野、そして銀行など不完全さが絶対に許されない性質の仕事もありますが、創造性が必要なことにおいては、完全無欠は役に立たないどころか、逆効果でしかありません。実際、コーネル大学の研究によると、人々がクリエイティブなアイデアを不確実と感じるために表に出そうとしないという徴候があり、そしてこのような傾向の強い人は、独創的なアイデアを認識する能力がどんどん鈍くなってしまうのだそうです。

セントラル・セント・マーチンズという多くの芸術家を輩出しているロンドンの大学で講師を務める芸術家のロッド・ジャドキンスは、著書「『クリエイティブ』の処方箋」の中で、両腕が欠損しているミロのヴィーナスも、元来どのようなポーズをとっていたのか誰にもわからないからこそ、私たちを魅了し続けているのであり、「不完全さは武器になる」と説きました。そして、完全でないものを受け入れられる人はある種の自由を手に入れられるのだとして、壊れていないものを壊すくらいの勢いで、「極めて不完全を目指そう」と呼びかけています。(4)

「完全主義というのは、道路閉鎖のような乱暴さで新しいアイデアを止めてしまう。そこで道は終わり。しかし、不完全であれば予期せぬ抜け道が見つけられる。」

↑完全主義は、クリエイティビティの自由を封鎖する (リンク)

↑完全主義は、クリエイティビティの自由を封鎖する (リンク)

祖国も特定の文化もない不完全性が創造の糧と言い切ることができるようになったジュンパは、その不完全性をうまく飼いならすことを覚えたことで、不完全であると感じれば感じるほど生きている実感が沸くようになり、創造力の可能性に挑戦し続けることができています。(5)

「知らない単語は、この世界にわたしの知らないことがたくさんあることを思い出させてくれる。(中略)この単語の意味を知ることでわたしの人生は変わるだろうと確信する。」

↑「知らない単語の意味を知ることで人生が変わると確信する」(リンク)

↑「知らない単語の意味を知ることで人生が変わると確信する」(リンク)

ナチズムを題材にした「自由からの逃走」で有名なドイツの社会心理学者エーリック・フロムは、「創造には、安定から旅立つ勇気が必要だ」という言葉を残しています。(6)

誰しも「欠陥ゼロ」でありたいと思うものですが、不完全性が生み出す可能性を理解して挑戦を繰り返し、不完全でなくては創造にたどり着けないと言い切る自信を育てること、これが遠回りのように見えますがクリエイティブな人生を送るための唯一の道なのかもしれません。

 

参考書籍
1.ジュンパ・ラヒリ 「べつの言葉で」 (新潮社、2015)p.73-74
2.ジュンパ・ラヒリ 「べつの言葉で」 (新潮社、2015)p.57-58
3.ジュンパ・ラヒリ 「べつの言葉で」 (新潮社、2015)p.102
4.ロッド・ジャドキンス 「『クリエイティブ』の処方箋―行き詰まったときこそ効く発想のアイデア86」 (フィルムアート社、2015)p107-8
5.ジュンパ・ラヒリ 「べつの言葉で」 (新潮社、2015)p.31
6.Perry Else 「Making Sense of Play」 (Open University Press, 2014) p.124-125