ストーリー

One Life, One Thought
Vol. 44

ムーミンの作者、トーベ・ヤンソン

子供のために書いているんじゃないんです。

2017/03/30

Ilkka Jukarainen

スティーブ・ジョブズは生前、「前進し続けられたのは、自分がやることを愛していたから。自分が愛せるものを見つけなければならない」という言葉を残しましたが、自分が無条件に愛せるものを見極める方法として、心理カウンセラーの鈴木雅幸氏は、まず自分のやりたいことをリストアップし、「このなかで、誰も見ていないところで、1人ででもやってみたいと思えるのは何だろう」と自分自身に問いかけてみることを薦めています

美しい自然の中で暮らすムーミン一家とその仲間たちを描いた物語を創り出した画家のトーベヤンソンはムーミンを描き始めたきっかけを、「1940年代の初め頃あまりに絶望的な気持ちになったので、おとぎ話を書き始めたのです」と答えていて、ムーミンは誰かのために書いたのではなく、戦争という逃れられない絶望からトーベ自身を救うための物語であり、童話を書いている間は別の世界にいることができたと語っています。 (1)

↑ムーミンは戦争という絶望の中から生まれた (リンク)

↑ムーミンは戦争という絶望の中から生まれた (リンク)

トーベは、フィンランドの首都ヘルシンキの芸術一家に生まれ、わずか15歳の若さで芸術家としてスタートを切りました。それ以来ずっと、芸術とは自分のものであって誰かのために行うことではないという考えを持ち、たとえ世論が好む芸術面での新しい技巧や流行が出てきても、それに親しむことはしませんでした。

また、当時のフィンランドでは、女性が画家として生きるのは難しかった上に、女性は結婚して家庭に入り夫の仕事を支えるという伝統的な考え方が尊重されていた中、常識や世間体を重視する父と対立しながらも、自分の思う通りに生きたトーベは、「ムーミンの生みの親 トーベヤンソン」の中で次のように述べています。(2)

「ずっと利己的……つまり非政治的な画家でいたい。個人主義者でね。レモンを描き、物語を書き、変わったものの収集をしたり、趣味を楽しんだりして。(中略)笑ってしまうけれど、そういう人生を送りたい。」

↑ずっと利己的、つまり非政治的な画家でいたい (リンク)

↑ずっと利己的、つまり非政治的な画家でいたい (リンク)

夏目漱石も、自分自身のために物語を書いた人の一人で、大学で英文学を学び、なりゆきで教師になったものの、その仕事に興味が持てず、機会があれば別の何かに飛び乗ろうと思いながら先の見えない憂鬱な日々を送っていたそうです。

その気持ちを抱えたまま、漱石はイギリスに留学しましたが、もうこの時には本を読むことの意味すらもわからなくなってしまっていたといいます。漱石は他人の言うことを鵜呑みにして、あたかも自分が考えたように生きてきた自分の人生を改め、自分本位で生きていこうと決心するに至ったそうで、当時のことを振り返り、次のように語りました。(3)

「文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自分で作りあげるより他に、自分を救う途はないんだと悟ったんです。」

↑文学とはどういうものか、それを自分で作り上げていくしかなかった (リンク)

↑文学とはどういうものか、それを自分で作り上げていくしかなかった (リンク)

漱石は、他人の後ろに従って満足できる人を悪いとは言いませんが、自分と向かい合い、迷いに迷った上で、「ああ、これが私の進むべき道だ!ようやく掘り当てた!」というような心の底からの叫びが発せられる時、人は周囲の反応など気にせず容易には崩れない自信と安心を手に入れることができるのだと述べています。「あなた方から見てその道がいかにくだらないにせよ、(中略)私自身はそれで満足するつもりであります」と断言しており、「坊ちゃん」や「我輩は猫である」等の代表作を出した後も、自分の文学というものを探し求め続けました。(4)

自分本位に生きることが幸せにつながることは、科学的にも証明されていて、ミシガン大学によって行われた調査結果を分析した研究者のアンガス・キャンプベルによると、アメリカ人の中に「自分が物事をコントロールしていると感じている」という人々が15%ほどおり、この人たちは「今、最高に幸せだ」とも答えているそうです。自分が自分を動かしていると感じているかどうかは他のどの項目よりも幸せを実感できる最も信頼できる指標なのだそうです。

↑自分をしっかりとコントロールできている限り、幸福は逃げていかない (リンク)

↑自分をしっかりとコントロールできている限り、幸福は逃げていかない (リンク)

両親の期待に応えるために将来を決めてしまう若者たちが増えていると聞きますが、七大商社の一つである「双日」の会長を父に持ち、将来を期待されるも、自分の進むべき道は俳優だと信じ、家族から勘当に近い扱いを受けながら地道に活動を続けた加瀬亮。彼は自分で脚本を読み、納得した上で出演する作品を決めており、2007年の「それでも僕はやっていない」で日本アカデミー賞を受賞、出演作品は国内外含めて60本を越すようになった今、インタビューで「人生においてこんなに熱中できるものに出会えたのは本当に良かった」と言い、役者という仕事に向き合ってきた自分の姿勢について次のように語りました。

「(役作りの)方法があるわけではなくて、そのとき、そのときの『自分』とまずは向き合って、そこから始めるしかないんだと思います。」

↑すべてのオリジナリティは自分の中にある、結局どれだけ自分に向き合えるか (リンク)

↑すべてのオリジナリティは自分の中にある、結局どれだけ自分に向き合えるか (リンク)

トーベも批評家たちから、ムーミン谷のキャラクターたちが罵り言葉を使ったり、やし酒やタバコを吸うことが教育的に良くないと指摘されていました。ある時、「この物語の意義はなんですか」と尋ねられた際に、「私は自分が楽しめるものを書いているつもりです。子供達を教育するために書いているわけではありません」と断言し、自分自身を表現し続けた結果、ムーミンは当時異例である、大人も楽しめる児童小説として人気を博しました。

伝統的な女性としての役割や、ムーミン物語への周囲の期待を無視し、生涯を通して画家であり続け、自分の信じるように生きたトーベの大切にしていることは、自由と孤独を愛する旅人スナフキンの口を借りて言った次の台詞にも表れています。

「大切なのは、自分のしたいことを自分で知ってるってことだよ。」

↑子供のために書いているわけではない、自分の楽しめるものをただ書いているだけ (リンク)

↑子供のために書いているわけではない、自分の楽しめるものをただ書いているだけ (リンク)

トーベは、父や周囲に反対されながらも、自分がやりたい道を進み、世界中の人から愛されるような作品を作り上げました。そして晩年には、緊張感に溢れていたけれどいろいろなことができ、とても良い人生だったと語り、いつか死という形でそういった人生を終えるということについて、次のように述べました。[5]

「わたしはそれを興味深く待っています。わたしはそれが嬉しい驚きになることを望んでいるのです。」

他人の意見を気に留めず、自分の信じる道を進むのは、並大抵のことではないかもしれませんが、自分を表現する人生を生きようとすることで、人生は期待に溢れるものになり、いつの間にかトーベのように、「よい人生だった」と穏やかな幸せが湧き出すのでしょう。何よりも、他人の背に隠れていると、嬉しい驚きを見逃してしまうのかもしれません。

 

参考書籍
1.トゥーラ・カルヤライネン『ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン』(河出書房新社 2014)p.155
2.トゥーラ・カルヤライネン『ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン』(河出書房新社 2014)p.158
3.夏目漱石『私の個人主義』(講談社 1977)  kindle 1768
4.夏目漱石『私の個人主義』(講談社 1977)  kindle 1854
5.トゥーラ・カルヤライネン『ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン』(河出書房新社 2014)p.351