草間彌生
世界一物価が高く“お金を食べて生きているような”ニューヨークから水玉一つの芸術で生き延びる。
東京のとある場所で暮らしながら87歳になった今も絵を描き続け、常に10年、20年先を行く作品を創造することで、芸術界に革命を起こしてきた現代美術の女王・草間彌生は、幼いころから幻覚や幻聴に悩まされ、それらを作品に表すことで現実から引き離されそうになる恐怖と闘ってきたのだと次のように語ります。
「こうして描き続けるのは、私自身が想像の世界に足を踏み入れていなくては、自分の“生”がもたない感じなんですよ。」
幼いころの草間彌生の絵にただならぬものを感じた両親は、スケッチブックを取り上げたそうですが、彼女はそういった日本人の保守性や閉鎖性が自身の芸術性とは対立するものだと感じ、28歳の時に自由の象徴であるニューヨークへ渡り、描き続けることを選びました。
1960年頃、世界一物価が高く、草間彌生によると“お金を食べて生きているような”ニューヨークで、「水玉一つで立ち向かってやる」と、人生のすべてをかけて水玉で芸術を表現した彼女は、初めてニューヨークで開催した個展で注目を浴びて以降、絵画、彫刻、そしてパフォーマンスアートや芸術の事業化など、自分の表現の領域を拡大し続けており、日々人生の闘争の場にいるという感覚が常に離れないのだと言います。
「いつも明日を紐解くことの難しさに直面する。(中略)明日、すべてを投げ打って出直さないとも限らない。そんな思いで一日一日、描き続け、造り続けている。」(1)
草間彌生にとって意識の先にあるのは、いつも「明日」であり、明日への希望を持っていなかったらやっていけないと話しますが、彼女は「明日」に向かうためには、過去の実績を捨てることは当然だと考え、アメリカに行くことが決定した後、今であれば数億円の価値があるであろう自分の身長くらいもあるようなサイズの大きな絵を、ナタで壊して何百枚と焼き捨て、アメリカに行ったら、それらより素晴らしい作品をどんどん作ろうと考えていました。
「やりたいことを追求する」「人々を喜ばせるために努力する」を生き方やビジネスの原則とし、シンプルなメッセージ機能のみをサービスとして世の中に提供したことで、人々のコミュニケーション方法に革命を起こした元LINEのCEO森川亮も、思うように生きるためにささやかな成功を捨て続けており、自分らしく生きることについて次のように述べています。
「決して社会のシステムに適応するために、自分の感性を押し殺すような働き方や生き方をすべきではありません。そして、ひたすら人々を幸せにするために真摯な努力を続けてほしいのです。」(2)
実際に、高い報酬が仕事のやりがいにつながるのかどうかをリサーチした結果をHarvard Business Reviewが発表しており、過去120年にわたる92個の研究から15,000人分のデータを分析した結果、高い報酬と仕事へのやりがいの関係性はわずか2%以下であり、報酬が上がっても仕事へのモチベーションは上がらないということがわかりました。
また、ある研究によると、仕事を面白いと感じている人に、仕事の成果に対してお金やモノなどを報酬として与えたところ、モチベーションは36%も下がってしまったそうで、成果に対する見返りといった過去に軸が置かれることは、仕事の面白みを薄れさせることが示されています。
一介のセールスマンから、シュレッダーの国内トップメーカーである明光商会を一代で築き上げた経営者の高木禮二によると、人も会社も社会において抜きんでた存在になるには、表面ばかりを取り繕うのではなく、本物や一流を追求する姿勢が大事であり、美術、工芸、音楽、そして盆栽でもなんでもいいから、自分が美しいと感じたものに少しでも近づこうとする気持ちが大切なのだそうで、著書「盆栽が教えてくれた」の中で、小さくてもいいからしっかり積み重ねられるという体質を持つことが、あらゆることの基本だという考えを語りました。(3)
「継続こそが力を、成果を生み出します。どんなことでも早く結果を出したいものです。しかし、仕事も、会社経営も、人材育成も、盆栽を育てるのと同じで促成栽培は禁物。よくしようと思って慌ててはいけません。そのかわり、注げば注いだだけの成果は必ず出てきます。」(4)
ニューヨークに渡ったばかりの頃の草間彌生は、同い年くらいの女性が恋愛や趣味を楽しんでいるのを横目に、自分の絵について「こんな物が何になるのか」と感じたこともあったそうです。
しかし、自分の絵は自分が死んだ後も生き続けるものだと信じて、稼いだお金のほとんどを絵の具とカンヴァスに注ぎ込み、明けても暮れても絵を描き続け、そんな毎日を送ってきた彌生の作品のテーマには「無限」という言葉が多く使われているのも、非常に興味深いところです。
今や現代美術の世界において草間彌生の存在は揺るぎないものへと発展しましたが、そこに至るまでの道のりは決して平坦なものではなく、彼女は自身の芸術家としての人生について次のように述べています。
「毎日が緊張と不安と興奮と闘争の連続であった。次々と制作をやりつづけていく芸術家としての充実感とそれを裏側で支えつづける緊迫感。その間を大きく、激しく揺れ動いている日々であった。」(5)
今日できた実績は、明日にはゼロになっているかもしれないという追い詰められた世界の中にこそ可能性は無限に広がり、草間彌生が無限の可能性の中に生命の輝きを見つけたように、本当に自分が生きたいように生き、社会に認められるというのは、楽しいことばかりではなく、成果を出すまでに長い年月を費やすこともあれば、暗いトンネルから抜け出せないこともあるでしょう。
しかし、その困難や辛さを乗り越えた先に、社会的な支えのない自分の力で、社会や人を喜ばせられる瞬間があり、この先どうなるかわからないという緊迫感と、それでもやりがいのある人生を送っているのだという充実感の間で、一日一日自分の技術や経験を積み重ねながら努力を続けられる人というのが、真のプロフェッショナルと呼ばれる人なのかもしれません。