ストーリー

One Life, One Thought
Vol. 29

マリメッコの創設者 アルミ・ラティア

デザイナーの個性がブランドの宝。個性を100%表現できる理想郷、『マリメッコ村』を作りたい

2016/12/15

Illustrated by KIWABI - Armi Ratia

マリメッコを代表する真っ赤なケシの花が大胆に描かれたデザインは、カーテン、食器、クッション、そしてワンピースにまで一面に散りばめられ、私たちの日常の至るところに太陽のように咲き乱れています。どんなものでも、そのテキスタイル一つで日々の生活を彩ってくれる北欧ブランド「マリメッコ」。創業したのは、フィンランドでもっともよく知られた女性起業家であるアルミ・ラティアです。

1951年当時、戦争によって課せられた多額の賠償金に苦しむフィンランドに、アルミは“シンプル、タイムレス、ユニセックス”というテーマを掲げたマリメッコを立ち上げ、暗い社会に色を取り戻させるため、トレンドや性別などの既成の枠にとらわれず、個性を打ち出すことを主張しました。

↑マリメッコとは「小さなマリーのためのドレス」という意味(flickr/Frugan)

↑マリメッコとは「小さなマリーのためのドレス」という意味(flickr/Frugan)

そして、体のラインを補正するコルセットやレースを用いた既存のドレスから女性たちを解放して人気となり、今ではフィンランドを代表する世界的ブランドとなっています。

そんなマリメッコが、創業65年を経ても、色褪せることなく国を超えて多くの人に支持され続けるのは、マリメッコというブランドの枠にデザイナーを押さえ込むのではなく、デザイナーが持つ個性そのものが大事だとするアルミの精神が今もなお引き継がれ、アルミによって才能を見出されたデザイナーたちが、遠慮なく力を発揮し続けてきたことにあるのかもしれません。

↑ブランドの枠にデザイナーを押さえ込むという概念がなかった (リンク)

↑ブランドの枠にデザイナーを押さえ込むという概念がなかった (リンク)

アルミはまた「ファブリックの女王」とも呼ばれ、女性起業家が珍しいとされる男性偏重のビジネス社会に乗り込み、マリメッコのデザインはプリント以外にも使えることを証明するため、ファッションショーを開催するなど、デザイナーとしてだけではなく、プロデュース能力にも長けていました。

それと同時に才能あるデザイナーを見出し、自由にデザインをさせ、各自のデザインに名前をつけて、作品として世に広めていった経営者としての面も持ち合わせていたのです。

自社ブランドを展開する企業にとって珍しいことですが、マリメッコにはそれぞれの作品の名前に加えデザイナーの名前が記されており、アルミは、デザイナーにこう話していました。

「プリントに図柄を描くのではなく、布いっぱいに好きな絵を自由に描いてほしい。」

↑図柄を描くのではなく、本当に好きな絵を自由に書いてほしい (リンク)

↑図柄を描くのではなく、本当に好きな絵を自由に書いてほしい (リンク)

アルミは一時期、「生地や織物には決して“花”を描かないこと。花は花のままで美しい。プリントの花は自然界の花には適わない」と言っていましたが、それを知っていながら、プリント一面にケシの花を描き、その観念を覆したデザイナー、マイヤ・イソラの作品「UNIKKO」は、今ではマリメッコのシンボル的なデザインとなりました。

その他、いわゆる”女性らしい”という既成概念に捉われない強い女性像やデザインを打ち出し、手書きの縞模様が連なる「PICCOLO」を手がけたヴォッコ・エスコリン・ヌルメスニエミ、シンプルなデザインでフィンランド人のライフスタイルを一変したとされる、等幅ボーダー「TASARAITA」をデザインしたアンニカ・リマラなど、マリメッコにはその時代ごとに社会に影響を与えたデザイナーがたくさん存在します。

↑マリメッコから誕生した数々のデザイナーがフィンランド社会に与えた影響は大きい (リンク)

↑マリメッコから誕生した数々のデザイナーがフィンランド社会に与えた影響は大きい (リンク)

そういったマリメッコでは、マイヤ・イソラのように、社員ではなかったのにもかかわらず、生涯をかけてマリメッコにデザインを提供していたデザイナーも存在します。一方で、従来の日本企業の組織は、社員同士の関係がピラミッド型の構造の中で規定され、社内に個人の価値観や理想とする姿を持ち込むのが難しく、一度会社を退職すれば、社員と会社の関係が途切れることも珍しくありません。

終身雇用は崩壊へと進んでいる中で、人々は会社という枠にとらわれずに、自分自身が起業家だというような意識を持って自立した働き方をすることが重要となっており、マッキンゼーでも、「Make your own McKinsey あなたのマッキンゼーを作ろう」として、社員が自分自身の目指す姿を高く主体的に掲げることで、マッキンゼーでチャンスを掴もうとしています

↑会社は個人を支援する器になっていく (リンク)

↑会社は個人を支援する器になっていく (リンク)

リンクトインの創業者であるリード・ホフマンを含む3人のシリコンバレーの起業家が執筆した「The Alliance」では、事業の栄枯盛衰が激しいシリコンバレーの企業が世界的に成功を収めている理由も、人材こそが最も価値ある経営資源であり、一人ひとりを潜在的な起業家と見なして、関係作りをしていることにあると述べられています。(1)

リンクトインでは、社内の人間だけでなく、退職した社員を「卒業生」として長期的な信頼関係を築き、互いの会社の最新情報や市場の情報共有においてなど、会社と卒業生が互いにとって、理想的な環境で仕事を進めていける「終身関係」を大切にしており、社員や卒業生といった個人が築くネットワークを会社が奨励し、積極的なバックアップがなされているそうです。(2)

↑退職した「卒業生」とも、しっかり「終身関係」を保つ (リンク)

↑退職した「卒業生」とも、しっかり「終身関係」を保つ (リンク)

DeNAも、事業の周りに人材を集めるのではなく、人材の周りに事業ができると考えて、社員の「思考の独立性」を大事にしているそうですが、全ての社員が、場の雰囲気や権威に影響されず、「自分はどう考えるのか」という自立した姿勢を持てば、より強いチームが作られるのかもしれません。

デザイナーの個性をマリメッコ色に染めるのではく、個性そのものをブランドの宝物だと捉え、世界的なブランドとして確立させたアルミは、個性を100%表現する色とりどりのデザイナーとともに、みんなが幸せに働き、生きていける理想郷「マリメッコ村」を作ろうという夢を持っていました。

↑事業の周りに人材を集めるのではなく、人材の周りに事業ができる (リンク)

↑事業の周りに人材を集めるのではなく、人材の周りに事業ができる (リンク)

実際に「マリメッコ村」が誕生するに至ってはいませんが、世界中にあるマリメッコストアで飾られている作品からはアルミのブランドへの思いが溢れており、アルミが考えていたよりも、もっと大きな存在として人々の生活の中にマリメッコ村は実現したと言えるのではないでしょうか。

マリメッコが長きにわたって愛され続けている背景には、マリメッコにかかわる人が、個性を発揮することを無条件に讃えたいというアルミの信念があります。私たちも大企業の知名度や「Made in Japan」に頼らず、世界で活躍する”個性”というブランドを磨くことの大切さを見つめ直す必要があるのかもしれません。

 

参考書籍
1.リード・ホフマン、ベン・カスノーカ、クリス・イェ「Allianceアライアンスー人と企業が信頼で結ばれる新しい雇用」P32
2.リード・ホフマン、ベン・カスノーカ、クリス・イェ「Allianceアライアンスー人と企業が信頼で結ばれる新しい雇用」P161〜P164