ストーリー

One Life, One Thought
Vol. 28

エマ・ワトソン

仕事で成功しなきゃ男じゃないなんて、そんなことは考える必要ないんです。

2016/12/08

Illustrated by KIWABI - Emma Watson

「ほとんどの男性が男女の平等を支持している。けれど、男性の多くは、“フェミニズム”という言葉に対しては、不快感やネガティブなイメージを感じている」という意見が、イギリスの大手メディア「テレグラフ」にもありましたが、いつの間にか「フェミニズム」という言葉は一人歩きし、男性からすると、どこか自分たちを非難するようなイメージのものになってしまっているようです。

そういった中で、「UN Women」という男女の平等などを目指す国連団体の親善大使を務めているエマ・ワトソンは、2014年に行われた国連でのスピーチの中で、「女性が権利を主張すること=男性嫌悪」という間違った認識を変えていきたいと主張しています。

エマ・ワトソンは、フェミニズムの定義が「男性も女性も平等に権利と機会を与えられるべきである」という信念であるにもかかわらず、その言葉が男性にとってネガティブな印象を与えているため、フェミニズムの議論に男性が参加したがらなくなってしまっている今の状況では、男性優位の世界の状況が変わることはないと述べました

↑フェミニズムという言葉を聞くだけで、嫌気が指す男性も多い (リンク)

↑フェミニズムという言葉を聞くだけで、嫌気が指す男性も多い (リンク)

フェミニストで社会活動家であるベル・フックスによれば、フェミニズム運動は男性に対する反対運動ではなく、家父長制による男性優位の夫婦関係や、性差別を問題視するものであるはずなのに、「フェミニスト」というと、男のようになりたい女性だと思っている人が多くいると言います。

ベルは、「フェミニズムはみんなのもの」という著書の中で、フェミニズムは決して女性だけの問題なのではなく、男性にとっても重要な課題であるとして、次のように述べています。

「家父長主義は男性からある種の権利を奪い、性差別的な男としてのアイデンティティを押し付けている。」(1)

↑男性は男性でフェミニストという言葉に大きなプレッシャーを感じている (リンク)

↑男性は男性でフェミニストという言葉に大きなプレッシャーを感じている (リンク)

エマ・ワトソンも、男性はある種、先入観的な男性像に苦しんでいると感じており、「男性とはこうあるべき」、「仕事で成功しなければ男じゃない」という社会の考えが浸透しているために、自信を無くしている男性が多くいると言い、エマが「ジェンダー平等」を目指して始めた“HeForShe”というキャンペーンは、「男性が泣くことができる」というアイデアからスタートしたものだそうです

↑男女平等の第一歩は「男性が泣くことができる」(リンク)

↑男女平等の第一歩は「男性が泣くことができる」(リンク)

感情を表に出したり、自分自身を表現するのは、私たちを「人間らしく」させることであるのに、「泣くなんて女の子がすることだ」と考え、男性が感情を表に出せず、強くいなければならないと考えていることは、非常に悲しいことだと、エマ・ワトソンは考えていて、男性が男性像から自由になれれば、自然と女性も女性像から自由になることが出来ると、次のように述べています

「男性と女性というジェンダーは、全く異なった両極端のものであるという考え方から自由になり、男性と女性を一括りにするのです。私達は私達自身以外の何者でもない、私は私であると受け入れることで、私達はもっと自由になることができるのです。」

↑性別の全く異なった両極端という考え方から自由になる (リンク)

↑性別の全く異なった両極端という考え方から自由になる (リンク)

エマ・ワトソンの言うような、「男性も女性も繊細であってよい、男性も女性も強くあってよい」という視点から歴史を振り返ると、かつて活躍した繊細な男性や強い女性も多く存在しています。

たとえば、「ピアノの詩人」と呼ばれる音楽家、フレデリック・ショパンは、幼少時代にはピアノの音を聞いただけで涙を流すような情緒豊かで繊細な心の持ち主であったといいます。

ショパンのその繊細な心から生まれるピアノ曲は、楽譜に装飾音や独特のアクセント記号などの細かな指示が多く入り、非常に難解であると言われますが、これは演奏者に常に繊細な表現を要求しているからだと言われています。

↑繊細な心や表現抜きに、音楽は語れない (リンク)

↑繊細な心や表現抜きに、音楽は語れない (リンク)

そのショパンの交際相手であったジョルジュ・サンドというフランス人作家の女性は、女性の活動が家庭の中に限定されていたような時代に、作家として女性や虐げられた階級の人たちが人間としての尊厳や精神の自由を持つ権利があると主張し、差別的な社会規範に真っ向から挑戦していった、初期のフェミニストの一人として知られています。(2)

強いジョルジュが繊細で病弱なショパンを支えているという二人の関係は、強い男性がか弱い女性を支えるという当時の一般的な男女関係とは真逆のものでしたが、二人がこの関係の中で自分の性格のままに、互いを尊重して生きられたことは、お互いの創作に良い影響を与えていました。

ジョルジュの代表作「魔の沼」やショパンを代表する「英雄ポロネーズ」や「幻想ポロネーズ」も、この交際の間に生まれ、ショパンにとってはジョルジュと過ごした頃が生涯の中でも最も創造的な期間の一つであったと言います

↑女性が男性を支えてもいい (リンク)

↑女性が男性を支えてもいい (リンク)

「嫌われる勇気」という本がベストセラーになった心理学者アドラーは、「今あるがままの自分」を受け入れることが幸福でいるためには重要であり、「大切なことは何が与えられているかではなく、与えられているものをどう使うかである」と述べ、世間ではアドラー心理学が脚光を浴びています。

しかし同時にアドラーが、あるがままの自分を受け入れるだけでは十分でなく、幸せになるためには他人のあるがままも受け入れ、信頼することが必要であると伝えていることは見逃されがちなのではないでしょうか。(3)

↑何かを変えようとするのではなく、「今あるがままの自分」を受け入れる(リンク)

↑何かを変えようとするのではなく、「今あるがままの自分」を受け入れる(リンク)

アドラーによれば、自己受容、他者信頼、そして他者貢献の三つの条件のどれ一つを欠いても人は幸福にはなれないのだと言います。

男性であっても女性であっても関係なく、ありのままの自分を受け入れて自分らしく生きていくことに加え、自分以外の人においても、ありのままを受け入れて信頼し、支えあっていくことが幸福につながっていきます。(4)

エマ・ワトソンの取り組む、“HeForShe”のメンバーであるエリザベス・ニャマヤロが、このプロジェクトの根底にあるのは、「男女が共有しているものは、男女を分けているものよりずっと強大だ」という考えをTED Talkで伝えているように、男女が持っている資質は、人間として共有しているものが多いのです。

↑男女が共有しているものは、男女を分けているものよりずっと強大 (リンク)

↑男女が共有しているものは、男女を分けているものよりずっと強大 (リンク)

“HeForShe”が女性だけでなく男性もこの活動に招き入れることによって、すべての男女が男性像・女性像にとらわれることのない、自由な生き方が与えられるもので、自由な生き方への希望を与えるものだと言うように、私たちも繊細さや強さといった資質に性別をリンクさせることを考え直すことが新たな幸せに繋がるのかもしれません。

「私は私」としてオープンに生きることで、一人の人間として互いに無いものを求め合って補う関係が生まれ、それぞれの男女が自分の人生に意味を感じる幸せを得ることができるようになっていくのではないでしょうか。

 

参考書籍
1.ベル•フックス「フェミニズムはみんなのもの」(新水社 、2003) pp.7、123
2.ジョルジュ•サンド「ジョルジュ・サンドからの手紙」(藤原書店 、1996) p.233
3.岸見一郎「アドラー心理学入門」(ベストセラーズ 、1999) Kindle p.1007
4.岸見一郎「アドラー心理学入門」(ベストセラーズ 、1999) Kindle pp.1121-1126