パッチ・アダムス
ハッピーであることが最善の治療薬だ
日本人の「薬頼み」は世界でもトップレベルで、世界人口の2%に満たない日本人が、世界中の40%の薬を使用しているとも言われています。さらに、数億円規模の初期投資が必要な医療機器であるMRIは、日本の病院だけでEU加盟国全体よりも多くの台数を導入しています。
英国の医学誌『臨床精神医学誌』では、「米国で抗鬱剤を服用する人の69%は、うつ病と診断された人ではない」と提唱されましたが、日本だけではなく、治療が西欧医学に偏っている先進国で必要以上に薬が処方されてしまうのは、現代の医療のあり方が、症状が自然には治らないことを前提としているからかもしれません。
そんなアメリカの医療現場で、ロビン・ウィリアムス主演の映画『パッチ・アダムス』でも取り上げられた医師、パッチ・アダムス(本名:ハンター・キャンベル・アダムス)は、人のケアに欠かせないものはユーモアや笑いだと考え、それを世の中に広げるために行動を起こしました。
彼の治療法の原点は、自身が十代の頃に三度、精神科に入院した時にさかのぼります。入院中に精神病棟の患者たちを笑わせているうちに、彼らは心を開き、自然と状態が良くなることに気づいたことが始まりでした。
そして、その入院中に1963年の公民権運動家キング牧師の「私には夢がある」という伝説的な演説を聴き、「愛と平和のために生きる政治運動家」として行動することを決意したといいます。
彼は何千冊もの本を読み、1971年に医学部を卒業した後、医療をコミュニティと結びつけるために『ゲズントハイト・インスティテュート』を設立しました。12年間無料での診療を行っていましたが、そのうち診療のための資金を確保することが困難になり、その後は真の医療とは何かを伝えるために世界中を回って、講演などの啓蒙活動に携わっています。
パッチ・アダムスは、自分は医師である前に「クラウン(ピエロ)」であると語り、ユーモアを使うことで、生きることや死ぬことでさえも面白おかしくなることを目指していて、医師が人をケアするのは、お金のためでも職務上の義務だからでもなく、「人間を愛しているから」という信条の下に行動しました。
実際に、パッチ・アダムスは、アメリカとソ連が対立していた冷戦下においても、ソ連(ロシア)にホスピタル・クラウンとして訪問し、今もそれを続けており、政治的な要素が彼の愛に基づく行動の障壁になることはありませんでした。
パッチ・アダムスの行動は、イタリアの『ソッコルソ・クラウン』を初め、世界各地にホスピタル・クラウンの団体を生み出しました。日本でも大棟耕介さんを中心にホスピタル・クラウンの普及や育成が徐々に根付き、笑いやユーモアが身体に与える影響の研究も進んでいます。
笑いやユーモアによる医療への転用は古くから用いられており、13世紀の外科医は痛みから患者の気を逸らすためにユーモアを使い始めたといわれています。
1918年に世界中でスペイン風邪が大流行したときも、ジョン・ハーヴェイ・ケロッグ博士は「健康は笑いから」をコンセプトに治療を行い、食事療法、腸内洗浄、そして身体を温める治療法と組み合わせ、死者数をほぼゼロに抑えることに成功しました。
ほかにも、筑波大学の村上和雄名誉教授の実験によれば、吉本興業の芸人の漫才を聞く前と後では遺伝子に大きな違いが出ることが分かっており、笑った後は、血液中の酸素を全身に行き渡らせる遺伝子、タンパク質の合成を促進し、細胞の代謝を促す遺伝子など、64の遺伝子のスイッチがオンになったそうです。
これまで選ぶ余地なく無機質な部屋に閉じ込められていた患者にとって、退院の目処が立たないほどの病気は、「逃れたいけれど逃れられないもの」と闘う孤独を感じさせるものですが、そんな中、病院にやってくるホスピタル・クラウンによって笑うことの温かさを知れば、退院後も「笑い」を大切に、ストレスの少ない健康な毎日を送れるようになるかもしれません。
パッチ・アダムスが「愛と平和」のために、「生きることや死ぬことでさえも、面白おかしく」と目指してきたものは、単に壮大で抽象的なスローガンなどではなく、忙しい現代人がなんとなく二の次にしてきてしまった「今、自分の隣にいる大切な人にどう向き合うべきか」という問いへの答えにもなるのではないでしょうか。