ミランダ・カー
せっかく女性に生まれたのだから、結婚や夫婦という概念に縛られず、自由に色々トライすべき。
オーストラリア出身で、下着ブランド「ヴィクトリアズ・シークレット」の特別広告塔の活動が代表的な世界トップ ファッションモデルのミランダ・カーは、2010年にオーランド・ブルームと結婚し、一男をもうけた後の2013年に円満離婚をし、現在は子育てとモデルの仕事を両立しています。
モデル業界という厳しい競争の世界で、強い女性でいること、完璧でいることにこだわっていたミランダでしたが、子どもが出来たことで価値観が大きく変わり、「常に強い女でいることが素晴らしいことだと思っていた。美しさに加え、全てを自分でこなすことがスタイルだった」とかつての男勝りだけの自分を反省し、今では、「母の愛より素晴らしいものはない」と述べているように、ミランダは、孤独に戦ってきた毎日にはなかった、女性としての幸せをようやく見出すことができたようです。
ミランダは現在シングルマザーですが、仕事や子育てだけでなく、それを心身ともに支えてもらうために男性とのパートナー関係も、ポジティブに捉えるようになっていて、「女性は男性に甘えて頼りにすること。これが恋愛が上手くいく秘訣」だと述べ、好きな人に愛されているということも女性の幸せであると語っています。
ミランダのように仕事で自己実現をしながらも、子育てを通じた母としての幸福と女性として男性に愛される幸福、すべてを大切に考えているのは、女性が男性の姓を名乗ったり、家庭に入ることを優先される「結婚」という形よりも、個々人の主体性を認め合いながら、家族愛を大事にする「事実婚」に近いのではないでしょうか。
そもそも事実婚とは、事実上夫婦と変わりない生活を送りつつ,婚姻届けを出さないでいる夫婦のことであり、女性の社会進出が進むにつれて、男性と女性の関係を対等で独立した存在として捉えようとする風潮が強くなったことが、社会的に広まっていった理由といわれています。
事実婚の先駆けは、哲学者サルトルとボーヴォワールの50年続いたカップルであり、ボーヴォワールは女性の自己実現が認められなかった20世紀前半に、「人は女に生まれない、女になるのだ」と、女性が男性によって劣った性別に貶められていることを告発し、後にフェミニズム運動を推し進める基本的な考えを提供しました。
ボーヴォワールは事実婚をしながら、「女性の地位向上を実現する哲学者になる」という夢を果たしたことから、事実婚と女性の自己実現は切っても切れない関係であり、ミランダも「せっかく女性でいるんだから、色々トライして楽しむべきよ」といっていますが、女性が家庭だけではなく、自分自身の夢や、やりがいを追求していくには、従来の結婚制度ではあまりにも息苦しいのかもしれません。
理化学研究所の生物物理学者の安井真人氏は、「子供を持ちたい」という願いをかなえるために「とりあえず結婚するべきだろう」と安易に考えがちだけれど、結婚せず事実婚という関係でも、子供も家庭も持つことはできると述べていますが、事実婚の指標となる婚外子の割合を見てみると、フランスは52.6%で、事実婚が少ないイタリアでさえ17.7%が婚外子であり、海外では事実婚が一般的であるのに、日本では増えつつあるとはいえ、まだたった2%程度です。
「じつはうち、フランス婚」の作者でイラストレーターのしばさきとしえ氏は、パートナーと少しだけ距離をとることで、関係を良い状態で維持することができると考えていて、パートナーのツジオさんとお互いを尊重しつつ一緒にいられる関係を維持するために、同じマンション内でも部屋を分けて暮らしています。
ひとりの時間も大切にし、少しさびしいと感じるくらいがちょうどよいというのは、フランスの事実婚カップルに通じるところで、かつて従来型の結婚で息苦しさだけを味わった彼女は、ツジオさんとの今の関係から、「人は生きたいように生きていいんだ」と気づくことができたと述べています。
円満離婚をしたミランダとオーランドも、としえさんとツジオさんの関係のように歩いていける距離に住んでいて、ミランダと息子のフリンくんは頻繁にオーランドに会えるようになっているそうです。お互いがひとりの時間や仕事を大切にしつつ、家族関係も維持するためには、入籍して完全に一緒に生活するよりも、ツジオさんの表現を借りれば、NEW籍するといった事実婚の方が、一見ドライにも思えるけれど、実はそれぞれが家族一人ひとりを大事にし合える有効な手段で、ノンストレスなのかもしれません。(1)
フランスでは、「夫婦」ではないパートナー間で子供が生まれても法的な問題がないよう整備されていて、フランスはこれによって少子化問題とは無縁となっていますが、日本でも過去をさかのぼれば、平安時代は通い婚でしたし、江戸時代になっても入籍をする必要はなかったそうで、今、事実婚が増えつつあるのは、「婚姻」という形態そのものに、必要以上の縛りや負担を作り出してしまったことに、私たちが気づき始めたことの表れのようにも見えます。
映画「マダム・イン・ニューヨーク」では、主人公の女性が、子育てや家事が夫から嘲笑されるほどに従属的な仕事として描かれていて、主人公はつい「料理は男が作れば〈アート〉になり、女が作ると〈義務〉になる」と漏らしますが、この映画の中、「夫とは、最高の親友のことです。結婚とは、対等な者同士の約束なのです」というセリフが、理想の結婚観をあらわしているように、個々人として対等なパートナー関係が、女性が幸せでいられる形なのではないでしょうか。
お互いを尊敬し合い、個々人が主体的な人生を送れるパートナー関係によって、女性が自分らしく仕事に励むことができたり、女性としてパートナーからの愛を素直に受けることができるようになったりするだけでなく、子供に対しても、家のためという義務感や世間の目から離れて、「母の愛はすばらしい」と純粋に沸いてくるような、母としての幸福を感じられるのかもしれません。
参考資料:【書籍】
しばざきとしえ「じつはウチ、フランス婚 ~結婚してない、でも家族」(モバイルメディアリサーチ、2008年) P25、P72、P90、P126