ストーリー

One Life, One Thought
Vol. 7

アンゲラ・メルケル

“見た目よりも中身がすごい”と思われる人になりなさい。

2016/07/14

Illustrated by KIWABI - Angela Dorothea Merkel

福島の原発事故発生から、4か月も経たないうちに新たなエネルギー政策に舵を切った主要工業国はドイツだけで、この迅速な方針決定は世界中を驚かせましたが、当時この国でリーダーシップを発揮していたのは、ドイツ初の女性首相であるアンゲラ・メルケル氏でした。

メルケルは現在、「世界で最も権力のある女性」と言われ、国民からも絶大な支持を得ており、公共放送ARDが2013年に行った世論調査によると、「次の首相は誰であって欲しいか」という設問にメルケルの名前を挙げた人は58%にのぼったそうで、それゆえに「東ドイツの市民として、統一後最も出世した人物」とも言われています。

↑アンゲラ・メルケル「世界で最も権力のある女性。」(リンク)

↑アンゲラ・メルケル「世界で最も権力のある女性。」(リンク)

メルケルは、東西冷戦の暗雲が立ち込める中、東ドイツで生まれ、1978年から国の研究所で科学者として働き、物理学者の側面を持ちながら、ベルリンの壁が崩壊すると同時に政治家としての頭角を現していきました。

優秀な能力を持ち大きな出世を果たしながらも、メルケルの生活スタイルは非常に慎ましく、イケアなどの大衆的な店でも、皆と同じようにレジの行列に並び買い物をするそうで、また、普段の生活の中では、シェフを雇うこともせず、家族のために自分で料理を振る舞い、世界で最も権力のある女性というよりは、「ウッカーマーク(ドイツのブランデンブルク州にある都市名)の主婦」と表現されることもあるようです。

↑プーチン大統領に対して、「今朝はもちろん、あなたが奥様の朝食を準備なさったんでしょ?」とコメントしたメルケル氏。(リンク)

↑プーチン大統領に対して、「今朝はもちろん、あなたが奥様の朝食を準備なさったんでしょ?」とコメントしたメルケル氏。(リンク)

また、「欧州の女王」とも呼ばれているメルケルですが、彼女自身は女王のように振る舞うわけではなく、飾らずに身の丈に合った生活スタイルを保っているため、常に「国民目線」で物事を考えることができ、これまでのスピーディな英断も、自分の評判を気にするよりもまず現実を見据えるという、地に足の着いたメルケルの成せる技と言えます。

世の中には、完璧主義と呼ばれる人々が存在し、ハーバード大学の臨床心理学者であるジェフ・シマンスキー博士は、「“完璧主義”とは他人の期待に応えることだと定義しても良い」と著書において述べていますが、もしもメルケルが他人が付けた自分の肩書きを気にして、「首相らしくない」と噂されることを恐れるあまり、完璧な女王のように振る舞おうとする女性であったならば、原発に対する素早い決断はできなかったのかもしれません。

↑完璧主義を捨てた「首相らしくない行動」が、逆に決断を速めた。(リンク)

↑完璧主義を捨てた「首相らしくない行動」が、逆に決断を速めた。(リンク)

また、行き過ぎた完璧主義の人たちは、完璧でありたいが故に「ずっとこうしているのだからこうでなくてはいけない」と、頑なにルールにしがみつき、更に「正しく、完璧な方法でないのならいっそやらない方が良い」と、いつまでも行動出来ないという傾向も見られるそうです。

メルケルは、福島原発事故が起こる前までは原発推進派でしたが、原発の事故をきっかけに自らの考えを変え、「はっきりと申し上げます。福島事故は原子力についての私の態度を変えたのです。」と議会で演説をしました。

ドイツでは、意見を大きく変えることは好ましくはなく、「以前の考えは誤りだった」と認めることは一種の「敗北宣言」だと評価されるそうですが、メルケルは一切恐れずにありのままの自分を公表し国民を導きました。

もし、メルケルが行き過ぎた完璧主義であったら、他人の目を恐れ、敗北宣言をしてまで国を大きく転換させることはできなかったでしょうし、そもそも「完璧にできるかわからないからいっそやらない方が良い」と、原発廃止政策を提案すらしなかったかも知れません。

↑アンゲラ・メルケル「問題は、私たちが変われるかどうかではない。どれだけ素早く変化できるかどうかだ。」(リンク)

↑アンゲラ・メルケル「問題は、私たちが変われるかどうかではない。どれだけ素早く変化できるかどうかだ。」(リンク)

無理な期待に応えようと自分を追い込むことは「不健全な完璧主義」であるとジェフ・シマンスキー博士は定義しましたが、不健全な完璧主義が行き過ぎると、常に不安な気持ちから逃れられないため、決断することはおろか、うつ病や摂食障害、そして、強迫性障害といった精神病を引き起こす可能性もあり、それでも高すぎる理想を追い求める人たちは、地に足をつけて「普通」になることを拒むと言います。

「不健全な完璧主義」は、日常生活レベルでは前述したような弊害を生みますが、政府レベルの人間が、国に対して理想を追求しすぎると、予算を無視した建設物の案が出たり、更に言えば兵力を無視した戦争など、病的とも言える決断が起こったりすることも十分考えられます。

↑無理な完璧主義は日常生活に弊害を生み出す。(リンク)

↑無理な完璧主義は日常生活に弊害を生み出す。(リンク)

自分の発言や意見がポジティブに評価されないのではないか、という不安に脅かされると、つい言い訳が多くなり、余分なことをあれこれ口にして、核心のメッセージを言うまでに時間がかかってしまう傾向もあると言いますが、現在の日本の政治は、メルケルの政治に比べると遠回しな説明ばかりをし、なかなか核心的な部分に触れず、スピーディな変化が起きていないように感じられます。

例えば、安倍首相は「アメリカの追従」「51番目の州」などと揶揄されることを恐れ、自分の本音を言っていないのではないかと東国原秀夫氏は指摘していますが、メルケルのように評価を恐れずに発言し、出来るだけ素早く核心となるメッセージを相手に届けなければ、英断と呼ばれる決断は決して起こらないでしょう。

そのためにはまず「完璧ではない一人の人間である」という、普段のメルケルからも感じられる、肩に力が入りすぎていない姿勢が重要なのではないでしょうか。

 

参考資料:
1.熊谷徹 「なぜメルケルは”転向”したのか」(日経BPマーケティング、2012年)P31
2.ラルフ=ボルマン「強い国家の作り方」(ビジネス社、2014年)P30
3.ジェフ=シマンスキー「がんばりすぎるあなたへ~完璧主義を健全な習慣に変える方法~」(CCCメディアハウス社、2013年)kindle P218
4.熊谷徹 「なぜメルケルは”転向”したのか」(日経BPマーケティング、2012年)P34