ストーリー

One Life, One Thought
Vol. 36

緒方貞子

異人という字にはニンベンが足りない。異人は偉人と書かれるべきだ。

2017/02/02

Illustrated by KIWABI - Ogata Sadako

多種多様な人々が日本でも受け入れられるようになりつつあり、介護福祉士に外国人の登用が積極的に行われたり、同性愛者や自閉症などの人々の雇用を促進する企業が増えてきています。

違う価値観を持つ人は強みになるという考えのもと、さまざまな人とコミュニケーションをとることは、グローバル化が加速する社会において、今まで以上に重要になってくると言います。

難民問題に関する国連の専門機関で、国連難民高等弁務官を務め、多様な価値観を持つ人々、それぞれの抱える問題を解決するために力を尽くしてきた緒方貞子は、それまで全員男性で構成されてきた国際高等官になったという異色の経歴の持ち主です。

緒方貞子は、アフリカやアジアなどの国の難民保護に取り組む経験を通じて、自分の常識とは異なる価値観を持つ人に対して、尊敬の念を抱くようになったことをNHKスペシャル「緒方貞子 戦争が終わらない この世界で」で語りました

「異人ということは、異なる人でしょう。本当は“ニンベン”の“偉人”でなければいけない。」

↑自分と異なる価値観を持つ人は全員偉人である (Michael Tapp)

↑自分と異なる価値観を持つ人は全員偉人である (Michael Tapp)

緒方貞子は、内乱で非常に危険なサラエボに入り、いつ銃弾が飛んでくるかわからない「銃弾通り」と呼ばれている危険な道を、防弾チョッキを着用して通るなど、援助活動を行う側の人々の価値観では考えられないような行動を取り、周りを驚かせました。

彼女自身も、目的を達成するために必要であれば、誰かの価値観で決められたルールに囚われずに行動できる「異人」であることを実行しているようにも見えます。

↑「銃弾通り」を防弾チョッキをつけて救助活動を行う(リンク)

↑「銃弾通り」を防弾チョッキをつけて救助活動を行う(リンク)

緒方貞子の目から見ると、「異人」の重要性を特に意識すべき人種は誰であろう私たち日本人です。日本は島国であるがゆえに、多様な言語を用いずに交流をしないで済んでいるため、国民が単一の価値観を共有してしまいがちです。

「相手も自分と同じように解釈をしてくれるだろう」と考える、「察しの文化」が自然と出来上がってしまっており、コミュニケーションにおいて、言語での明言を避ける習慣が国際交流において、足を引っ張るとも指摘されています

↑「異人」の重要性を一番理解しなければならないのは、誰であろう日本人 (リンク)

↑「異人」の重要性を一番理解しなければならないのは、誰であろう日本人 (リンク)

それはユーモアの使い方ひとつにも表れていて、西洋の人々にとってのユーモアは、多様な価値観を持つ人々と交流する際に、緊張をほぐすための道具であるのに対し、日本人にとってのユーモアは、すでに仲の良い内輪の関係を維持するために用いられることが多いようです。

日本人にとってのユーモアは、価値観が異なる人を排除する道具として存在してしまうこともあり、日本人の価値観は「異人」よりも「同人」に重きを置いているのかもしれません。(1)

↑ユーモアのセンスは価値観の共有をほぐすために使う(リンク)

↑ユーモアのセンスは価値観の共有をほぐすために使う(リンク)

他者とコミュニケーションを取るのが苦手で、ある一つの物事に極端に集中しやすい発達障害のことを自閉症スペクトラム障害といいますが、自身も自閉症スペクトラムの傾向がある精神科医の本田秀夫は、自閉症スペクトラムが「障害」というのは、マジョリティとされる人たちから見たものでしかないと言います。

本田秀夫は、童話「みにくいアヒルの子」の話を例にあげて、ずっと周りから変な子だと思われていた自閉症の子にしてみれば、大勢いる一般の人とはそもそも、白鳥とアヒルにように「種族」が異なるくらい考え方が違うものだと指摘しています。

↑自閉症の子にとっては、一般の人も立派な「異人」(リンク)

↑自閉症の子にとっては、一般の人も立派な「異人」(リンク)

アヒルが自分たちの価値観を白鳥に無理やり押し付ける童話とは違い、多数派の人々が自閉症という「異人」を受け入れつつ、共生していこうという現代では、自閉症はかつてのように排除される存在ではなく、その個性や長所に尊敬を払われるようになってきています。

例えば、かつて自閉症に分類されていたアスペルガー症候群は、いまや、別名シリコンバレー症候群と呼ばれるほど、最先端IT企業のシステムエンジニアに多く、またサヴァンと呼ばれる絵や音楽、そして記憶力の特殊な才能を持つ人も、別名立派な「異人」ですが、その能力は様々な分野で注目されています。

↑変人と異人を受け入れることで価値観が大きく変わる(リンク)

↑変人と異人を受け入れることで価値観が大きく変わる(リンク)

本田秀夫も自閉症スペクトラム障害の人は何か一つのことに熱中し、合理的、論理的な思考をするという特徴があるため、「○○博士」と呼ばれるような人になり得ると述べているように、「人種」だけではなく、このような「障害」と呼ばれてきた「異人」も「偉人」と認めていくことは、いろいろな垣根がなくなりつつある多様性の社会では非常に重要なことかもしれません。

緒方貞子自身も東洋人の女性にして、初の国連難民高等弁務官という「異人」の立場に置かれた一人です。

この環境の中で、「異人」ゆえの困難さと重要さを身をもって経験しましたが、難民の命をとにかく優先するという前例のない、「異人」ゆえの判断を下す中で、部下との信頼を築いていき、「異人という言葉は偉人と書かれるべきだ」と述べています。(2)

↑自閉症の人が特殊な才能を花開かせることもある (リンク)

↑自閉症の人が特殊な才能を花開かせることもある (リンク)

グローバル社会で、日本がガラパゴス化することを阻止するために動き出している教育機関も存在します。

学生の50%が留学生だという立命館アジア太平洋大学は、グローバル化社会で通用する人材を育てるために、学生の「内向き志向」を直し、国際社会に目をむける教育を行っており、文科省の「スーパーグローバル大学創設支援」の対象となっていて、「異人」を養成して世界に羽ばたかせる準備が着実に進められています。

また、東大を含めた10の大学のカフェテリアでは、イスラム教徒でもイスラム法に沿った食事ができるように、豚肉を使わず、肉の処理方法にまで配慮をし、教義に反しない料理であるチキン竜田丼と牛丼などを提供しているように、多様な価値観を受け入れる基礎を整えています。

↑異人を受け入れることが多様性・創造性を養う一番の近道(リンク)

↑異人を受け入れることが多様性・創造性を養う一番の近道(リンク)

ナチスの強制収容所を経験しているユダヤ人の精神科医フランクルは、多様性を認める社会は、構成する一つ一つのピースは全然違っても、全体的に見れば「美しいモザイク画」のような社会であると述べています。

異なる価値観の違いをお互いが認め合うのは極めて難しいことですが、自分の価値観から相手の価値観にほんの少しでも配慮しようとするのが、人間性というものです。その一例として、戦争に負けてナチスの強制収容所の所長が裁かれそうになったときに、その所長を守ったのは、所長がポケットマネーでユダヤ人のための薬品を購入していたことを知っていたユダヤ人であったというエピソードもあります。

緒方貞子は、世界中の「人」を相手にしているUNHCRリーダーとして、ルールなどよりも命を優先させることが先決であると主張しました。「異人」を認めあう社会では、最後には彼女が志してきた「be human」、つまり、国や思想などの前に、すべての人がひとりの人間として生きることが尊重される、複雑さの中に美しさがある社会が開けるのではないでしょうか。(3)(4)