スティーブン・スピルバーグ
映画が私の人生に風穴を開けた。私には映画があったから、障壁も苦難と思わずにいられた
「ジュラシック・パーク」「インディ・ジョーンズ」「メン・イン・ブラック」など、数々の大ヒット映画を手がけるスティーブン・スピルバーグ。彼には、文字を普通の人のように読むことができないディスレクシアという識字障害があり、他の人より文字を認識して読むのに時間がかかるため、少年時代にはクラスメイトから度重なるいじめを受け、教師からは怠け者と思われていました。
スピルバーグにとって、中学生時代のいじめが一番辛い経験でしたが、その時、父親が買ってきた8ミリカメラで初めて自作のサイレント映画を作り、映画が持つ“人に与える影響力”の大きさに感銘を受けたそうです。ディスレクシアやいじめを受けているといった側面からみると、苦難な状況下にいることは現実的に変わらぬ事実であるにもかかわらず、映画さえあれば「自分は不幸」だとか、「何かの犠牲になっている」なんて一度も思ったことはなかったといいます。
「映画が僕を恥ずかしさや犠牲といった感情から救ってくれた。映画を作ることで、すべての辛い現実から逃げることができたんだ。」
スピルバーグの映画の主人公に共通している特徴は、普通の人間にスポットライトが当たっているところで、「E.T」は、森林に近い郊外の家に住み、ゲーム好きの兄とその友達の仲間に入れてもらえず、悔しい思いをしながら日々を過ごす10歳の少年の前にある晩突然、宇宙人が現れ、その宇宙人を大人たちから守ろうと奮闘する中で、お互いの間に強い友情が芽生えるというものです。
また「E.T」は、少年時代に両親の離婚を経験したスピルバーグにとって、当時の彼の孤独な心を埋めてくれる友達の存在を欲する気持ちが込められた物語であるとも言われています。
スピルバーグは、映画を観ることは孤独や挫折といった辛い現実を送っている人にロマンやファンタジーを抱かせてくれる、と考えています。「E.T」においては、現実世界で愛や友情に恵まれなかった当時の彼自身のために、困難を一緒に乗り越えてくれる友達が欲しいと強く願うことで、ある日突然、宇宙人が地球にやってきて友達になってくれるという奇跡を起こそうと考えたのではないでしょうか。
「E.T」にも家族を置き去りにする父親が登場しますが、その孤独感のおかげで、宇宙人との絆が深まるのだとしてスピルバーグは次のように述べています。
「もし自分が、その宇宙人を必要としているのと同じくらい、その宇宙人がぼくを必要としているとしたらどうだろう。それって素晴らしいラブストーリーにならないか?」(1)
どん底の人生に生きる意味を見いだせるのは、自分がとことん醜い存在で、自分の弱い部分を知り尽くしている人だと、東京大学先端科学技術研究センターの教授である福島智氏が述べています。(2)
福島氏は、18歳で視力・聴力ともに失いましたが、生きる意味を自分の中に見出す際、「後ろ向きで後ずさる」ことが、結果的には「前向きに前進した」ことになると気づきました。目が見えず耳も聞こえないという状況の中でしか闘うことができない彼にとって、どうしても前へ進むことができない時は、無理に前へ進もうとするのではなく、「後ろ向きで後ずさり、体をひねって回れ右をすれば、めでたく前向きに前進できている」と逆転の発想をすることで、少しばかりのしたたかさを持って生きていこうと自分に言い聞かせているのだそうです。(3)
失敗を繰り返し、人生に光を見つけることができない極限状態に陥った時、「後ろ向きで後ずさる」ことは、決して苦境から逃げることではなく、現状と今の自分をありのままに受け入れて別の方法を探る姿勢であり、その姿勢があるからこそ「前向きに前進する」ことが可能になると考えられます。自分の限界を超えた偉業を成し遂げるには必要な姿勢なのかもしれません。
打てない時は勇気を持ってバットを離すことが大事だ、と考えるメジャーリーガーのイチロー選手も次のように述べています。
「4000のヒットを打つには8000回以上は悔しい思いをしてきているんですよ。失敗を自分の中に刻み込んで行く行為。その中で出して行く結果。それを重ねて行く。今まで自分を支えてきたものというのは良い結果ではないんです。それなりの屈辱によって、自分を支えてきた。」
人生に降りかかる出来事を前向きに捉える人と、消極的に捉える人の違いを研究しているオックスフォード大学教授のエレーヌ・フォックス氏は、人生の見方に関する公開講座で興味深い事例を取り上げました。
類い稀な努力で富と名誉を築き、あらゆる物を手にしたものの、うつ病と極度の悲観主義に悩まされ電車のホームに飛び込み自殺を図った人と、一文無しの状態でホームレス施設で日々を過ごしながら、自らの命を危険にさらして川に身を投げた女性を助けた人の違いは何なのか。
人の性格を形作る要素には、その人が元々持っている遺伝子や生まれ育った環境以外にも、「身の周りで起こることを楽観的に捉えるのか悲観的に捉えるのか」ということが大きく影響しているそうです。それぞれの人に同じ出来事が発生したとしても、人によってプラスとマイナスの捉え方があり、その捉え方が違うからこそ、人生における満足度の感じ方にも差異が生じると述べています。
人生やビジネスで成功を収めるには、物事を楽観的に捉える方が有利だと言われていますが、多くの人は、生まれもった性格を意図的に変えて、楽観的思考に向けるのは難しいと感じるのではないでしょうか。
フォックス氏によると、スピルバーグ映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で主人公を演じたマイケル・J・フォックスの遺伝子を研究した時に、楽観的か悲観的かという人の性格に影響を与える遺伝子は、たとえ生まれながら悲観的思考の型であっても、環境の変化によって、楽観的思考に変えることができるという結果を発見したそうです。
マイケルは、若くしてハリウッドスターの階段を駆け上がっている人気絶頂の最中に、手足の震えや筋肉が硬くなるなどの症状が出るパーキンソン病を発症し、彼の俳優人生は終わったのではないかと思われていました。しかし、数十年の時を経て、自身の病を逆手にとった「マイケル・J・フォックス・ショウ」でパーキンソン病患者の主人公を演じ、見事に俳優として完全復帰を果たしたのです。
「車椅子の営業マン」として飛び込み営業で実績を上げ、弱点を価値に変えることができると提言し、著書「バリアバリュー」を執筆した垣内俊哉氏。骨形成不全症という病気によって、ほかの営業マンのようにフットワーク軽くあちこちの会社に訪問することができないからこそ、同じ会社に何度も通うことを自分の営業スタイルとし、雨の日も風の日も、脈がありそうだと思った会社に何度も足を運び、顔を覚えられることで契約に至る会社数を増やし、営業成績ナンバーワンとなりました。(4)
また、垣内氏は障がい者や高齢者にとって本当に必要なサポートとは「無関心でも過剰でもなく、さり気ない配慮である」と述べています。そして、一人でも多くの人に自分とは違う誰かの視点に立って行動する姿勢を持ってもらうため、目の前の障がい者や高齢者に手を差し伸べる際には「何かお手伝いできることはありませんか?」と一声かけて対応するというようなユニバーサルマナーの普及に努めているそうです。稲垣氏は車椅子でずっと生きてきたからこそ見える社会の不便さをビジネスとして創造し、会社は設立6年目にして年商2億円の企業に成長しました。
スピルバーグは、「一日中夢を見ているんだ、生きるために夢を見ている」と述べ、人生の中で映画を製作しながら自らの希望という夢を見出しているのだとして、次のように話しています。
「映画とは心臓に血液を送り続けるものです。私が生きていくためのものですよ。『未知との遭遇』のシーンで少年が扉に向かって歩いてドアを開けると、その向こうにはものすごい光があります。これは今の私の姿でもあるんです。」
不運な境遇やコンプレックス、そして弱点といったものは、生きてく上でネガティブなものだと捉えられがちですが、実は人生で成功を収めていたり、充実感を感じているように見える人ほど、それらを強みと捉えて世の中のために役立てています。スピルバーグも、自分の中にネガティブな部分があったからこそ、周りとは違った視点で物事を把握することができ、多くの人が共感できる映画を生み出し続けることができているのかもしれません。そんな彼の映画を通じて、私たちは知らないうちに、「自分の見方次第で誰もが人生に光を見つけることができる」というメッセージを受け取っているのではないでしょうか。
1.南波克行「スティーブン・スピルバーグ論」p.62
2.福島智「ぼくの命は言葉とともにある(9歳で失明、18歳で聴力も失ったぼくが東大教授となり、考えてきたこと)」p.54
3.福島智「ぼくの命は言葉とともにある(9歳で失明、18歳で聴力も失ったぼくが東大教授となり、考えてきたこと)」p.52
4.垣内俊哉「バリアバリュー 障害を価値に変える」p.95
5.垣内俊哉「バリアバリュー 障害を価値に変える」p.174