ストーリー

One Life, One Thought
Vol. 25

トリー・バーチ

いい母親でいられないのであれば、いいCEOにはなれません。

2016/11/17

Illustrated by KIWABI - Tory Burch

長谷川潤木下優樹菜のインスタグラムのフォロワー数が100万人を超えるなど、ママになって活躍するタレント「ママタレ」が注目を集めていますが、海外でも同様に「カップケーキチャレンジ」や「mompreneur(ママ起業家)」と呼ばれる女性が、家庭に入るのを機にカップケーキ屋さんや赤ちゃんのための教室など「かわいい」を売りにした商売を展開するなど、空いた時間に趣味の延長として「小さなビジネス」を行うことが近年のトレンドになっています。

しかし、そういった女性ビジネスの「趣味の延長」というイメージばかりが濃くなり、女性が大きなビジネスを始めるために必要な資金を調達することは難しいのが現状です。女性の目指す企業の規模とは裏腹に、投資家は母親らしさを出した小規模なビジネスを求めており、「女性がやりたいこと」と「投資家の求めること」の間にあるギャップが女性起業家たちの可能性を狭めているのかもしれません。

↑ママ起業家がやりたいことと、投資家が求めることがなかなか一致しない。(リンク)

↑ママ起業家がやりたいことと、投資家が求めることがなかなか一致しない。(リンク)

現在、120店舗以上の直営ブティックを持ち、3,000箇所以上の百貨店や専門店で展開されるファッションブランド『トリーバーチ』のCEOであるトリー・バーチは、2004年に起業してからたった10年余りで、世界有数のブランドへと成長させましたが、起業の時点では、多くの投資家は見向きもしてくれなかったといいます。

トリーは、起業家としての経験もない上に、6人の子どもを育てる母親であったことから、ブランドを立ち上げる際に必要な資金を貸してくれる人がなかなか見つかりませんでした。最終的には、友人や家族など、一部の身近な人の協力により、なんとか投資ファンドと個人投資家を見つけることができましたが、トリーはその当時を振り返って運に恵まれていただけだったと語っています

そういった経験から、トリーは女性がもっと大々的に社会に貢献するような起業ができる環境を整えたいと考えるようになり、トリーバーチ基金を設立しました。彼女は、家庭を持つ女性が起業をする意義を次のように主張しています

「女性起業家をサポートすることで、その家族の助けになり、コミュニティーの助けとなり、そして社会全体の助けとなる。」

↑母親と起業家を両立させるのは想像以上に過酷な生活。(リンク)

↑母親と起業家を両立させるのは想像以上に過酷な生活。(リンク)

女性、特に「母親」の成功は、「シンデレラストーリー」のような夢物語に捉えられがちですが、トリーは現実的な見方で「母親」には成功する資質があるのだと語っています。さらにいえば、人生で最も大切な存在であるはずの「子ども」を育てる意欲のない人に、企業の経営ができるわけがないとの持論を、次のようにはっきりと断言しています

「いい母親でいられないのであれば、いいCEOにはなれません。」

ユーチューブのCEOを務めるスーザン・ウォシッキーも、5人の子どもを育てる「母親CEO」であり、かつてグーグルで働いていた頃に第一子が生まれ、社内で初めて赤ちゃんのいる社員になりましたが、米国ビジネス誌『FAST COMPANY』のインタビューでは、グーグルが「成長」していく過程を見守ってきたことや、これからどのようにユーチューブを「育てる」のか、という言葉を頻繁に口にしていることからも、子どもを育てるように、会社も成長させようとする意欲が伝わってきます。

↑グーグルはスーザン・ウォシッキーの家の車庫で創業した。(リンク)

↑グーグルはスーザン・ウォシッキーの家の車庫で創業した。(リンク

また、日本でも、NHK連続ドラマ『あさが来た』のモデルとなった広岡浅子は、明治時代に最も活躍した女性起業家の一人で、女性が社会の表舞台に立つことすら難しい時代に、家庭を持ちながら炭鉱業を立ち上げ、銀行や大同生命を設立し、そして女子教育の普及のために日本女子大学の設立したように、根っからの起業家精神の持ち主でした。彼女も自分の手がける事業を「自分の子ども」にように考えていたといいます。

例えば、浅子の経営する炭鉱が事故で爆発した際には、熱があった娘がいたにも関わらず、心を鬼にして炭鉱に行くと決心し、旦那と付き人に任せて現地に向かったエピソードがあります。その際、「娘についてあげるべきだ」と医師に言われたそうですが、浅子は次のように答えています。

「先生、うちにとっては、鉱山も炭鉱夫も亀子(娘)と同じように大事どす。亀子には父親と小藤(付き人)がついてます。どないしても行かななりまへん。」(1)

↑子どもも事業も同じぐらい大事。(リンク)

↑子どもも事業も同じぐらい大事。(リンク)

このように、浅子の炭鉱を大切にする姿勢は、鉱夫たち(鉱山で採掘に従事する労働者)との良好な関係を保ち続けることができました。それにより、当時、他の鉱区への転職率が極めて高かった鉱夫たちの流出防止につながったり、採掘作業が効率よく進むことで、鉱夫たち自身も得られる収入があがるにつれて、仕事に対するモチベーションが高まり、結果として作業がさらにはかどるという好循環が生まれたといいます

「経営の神様」として知られる松下幸之助も、9歳の頃から、子守や家事といった家庭の仕事と、奉公先の商店の仕事をしながら育ったそうで、パナソニックの前身となる松下電気器具製作所を設立した際も、従業員は「家族」だと考え、会社が窮地に立たされても、一人も解雇することもビジネスを売ることもなく、それを転機に会社を成長させましたが、自分の会社を大切に育てていくことは、自分にとっても社会にとっても、より大きな成果につながるのかもしれません。

↑むしろ子どもがいたからこそ、ビジネスが上手く回り始めた。(リンク)

↑むしろ子どもがいたからこそ、ビジネスが上手く回り始めた。(リンク)

トリー・バーチも広岡浅子も、起業家として、家庭を持つ女性に対する風あたりの強さを経験したからこそ、女性の力を社会で生かすためには、政治家のマニフェストや企業の福利厚生の充実よりも、女性の中にある、「家庭」と「会社」の境目を取り払う考え方を広めていくことが先決だと考えたのでしょう。広岡朝子は、多くの女性が仕事に就く際に、その仕事の社会的な目的はどこにあるのか、という点を追求し、より高みを目指すべきだとして、次のように強く訴えかけています。

「私は婦人でも十分に経営する才能があることに自信を持っています。婦人でもできないことはありません。必ずできるのです。」(2)

↑婦人でも経営ができるのではなく、婦人だからこそできる経営もある。(リンク)

↑婦人でも経営ができるのではなく、婦人だからこそできる経営もある。(リンク)

「子どもがいるから大きな仕事はできない」、「家庭と仕事の両立は無理だ」といって、自身のキャリアや夢を諦めてしまうのではなく、家庭のCEOである「母親」には企業を大きく育てる力が備わっており、その能力を活かし、大きな意義を持って仕事をする道を選べば、自分の子どもたちが暮らしやすい社会の実現にもつながるのではないでしょうか。

最近では、創業したスタートアップがうまくいき始めたところで会社を売って、一攫千金を狙ったり、最初から、会社の売却を目的としたスタートアップも多いと聞きます。しかし、それらの人たちのほとんどが、ビジネスを売ってしまった悲しみを長く引きずるといわれています。

こういった社会だからこそ、「母親」が子を大切にする気持ちを持って会社を経営すれば、自分にとっても社会とっても有益になり、母親だからこそできる経営というのが今の社会には必要なのかもしれません。

 

参考書籍
1.古川智映子『小説土佐堀川 ――女性実業家・広岡浅子の生涯』潮出版社 (2016) Kindle版1523
2.広岡浅子『超訳 広岡浅子自伝』 KADOKAWA / 中経出版 (2015) Kindle版287