ストーリー

One Life, One Thought
Vol. 5

アナ・ウィンター

もし私を冷たいとか無愛想とか思うなら、それは単に私がベストを尽くすために奮闘しているから

2016/06/30

Illustrated by KIWABI - Dame Anna Wintour DBE

映画「プラダを着た悪魔」のモデルにもなったアナ・ウィンターは、1986年に英国版「ヴォーグ」の編集長に就任し、今日のファッション界に大きな影響を与えた偉大な人物として賞賛されています。

しかし、その一方で、イギリスのマスコミからは「核弾頭ウィンター(Nuclear Wintour)」というニックネームを付けられるほどの“鬼編集長”として知られており、アナは彼女のイメージどおりの雑誌を作ろうと懸命に働きましたが、そのイメージのために部下にも同じレベルの働きぶりを求めました。

有名雑誌の編集長として知名度が高くなれば、交友関係も自ずと広がっていくと思われがちですが、周りの人に好かれるよりも相手の手綱を握ることを最優先としていた彼女には、親しい友人がほとんどおらず、その上、人との輪を重視しない姿勢は私生活の中でも相変わらずで、電話を切る時も絶対に「さよなら」を言わず、いきなり切るのが当たり前だったと言います。

↑鬼編集長として、独特の存在感を見せるアナ・ウインター。(Farrukh)

↑鬼編集長として、独特の存在感を見せるアナ・ウインター。(Farrukh)

当然のことながら、アナの部下として働くことは困難の連続でしたが、彼女が行うことは、「ファッションを愛して、ファッションに生きる」という、自分の信じるものには一切妥協しないというビジネスの本質をついており、アナの下で働いたことのある人たちは次のように述べています。(1) (2)

「編集部はまさにアナの嵐だった。スタッフはアナのずばぬけた処理能力の速さとダイナミックさに驚いたの。新風というより、突風が吹き込んだようだった。」

「アナが選んだ写真に私が納得できず、意見が対立することもよくあることだった。アナは融通が利かないこともあるけれど、私はいつも彼女を尊重していたわ。彼女がどれだけ仕事に精通しているかわかっているからね。」

↑アナの仕事ぶりはファションには一切の妥協をしないというビジネスの本質をつく。(Sarah-Rose)

↑アナの仕事ぶりは、一切の妥協をしないというビジネスの本質をつく。(Sarah-Rose)

日本社会はまだまだ「空気を読むこと」が前提にあり、厚生労働省の調査によると、仕事や職業環境に関する不安、悩み、そして、ストレスを感じる労働者の割合は60.9%にもなり、その要因は様々ですが、「職場の人間関係の問題」と回答した人が41.3%と最も高い割合になっています。

また、2014年、心理学者アルフレッド・アドラーの思想を基にした書籍『嫌われる勇気』が刊行されましたが、他人に好かれようと本来の自分を抑えるより、他人の目を気にせず素直な自分でいる方が楽に生きられると説いた内容は、人々の関心を引きました。活字離れと言われる今の時代に発行部数70万部を突破したことからも、周りの空気を読んでストレートに自分の意見をぶつけられない日本人の葛藤が浮かび上がってきます。

↑職場の人間関係が職場でのパフォーマンスを著しく低下させる。(tokyoform)

↑職場の人間関係が職場でのパフォーマンスを著しく低下させる。(tokyoform)

フランスの農業技術の教授であったリンゲルマンは、集団作業時には1人当たりのパフォーマンスが低下することを明らかにし、集団作業時の1人当たりの力の量は、2人の場合は93%、3人では85%、そして、4人では77%とどんどん下がっていき、その大きな理由は、集団の中では一人ひとりの責任感が薄くなり、一生懸命さが失われることにあると結論づけています。(3)

現在は CHANNELのCEOで、LINEの元CEOである森川亮は、「すごい人ほど空気を読まない」と語っており、そういった人は上下関係のある部下や上司という関係性よりも、「ユーザーに喜ばれるもの」という感性でものごとを判断し、彼らが一番恐れることは、職場で批判されることではなく、ユーザーのニーズからズレることだと言います。(4)

↑恐れることは、人間関係を壊すことではなく、ユーザーの需要がズレること。(Barn Images)

↑恐れることは、人間関係を壊すことではなく、ユーザーの需要がズレること。(Barn Images)

アナも同じように自分のファッションへのこだわりを徹底的に貫くため、1986年にイギリス版「ヴォーグ」に移った時には、時代遅れのイギリスのファッションを徹底的に批判し、「こんな格好をして街を歩く女性はニューヨークでは見かけない」と斬り捨てました。

また、時代遅れになったヤフーを再建させるために、米国ヤフーのCEOに就任したマリッサ・メイヤーも、笑うこともなければ、冗談も言わず、とにかく良いプロダクトを作ることだけに没頭し、プロジェクトメンバーが抗議すると次のように述べたと言います。(5)
「”できる”と言うときにだけ口を開きなさい。できないのなら、ほかの人を見つけるだけよ。」

↑できることにだけ、口を開きなさい。(JD Lasica)

↑できることにだけ、口を開きなさい。(JD Lasica)

アナ・ウィンターやマリッサ・メイヤーは冷静沈着で、人間らしい感情を一切見せない、鬼のようなリーダーに思われがちですが、部下の仕事に満足すると、プレゼントを贈るなど評価すべきところはしっかりと評価をするといった母親のような一面も持っています。

そもそも変革やイノベーションは、人と人との深い連帯から生まれ、深い連帯は衝突を繰り返すことで付加価値が高まっていくものであり、アナのような対立や孤独を恐れない姿勢は、必然的に商品やサービスの質を高めることに繋がっていくのです。

アナ・ウィンターが「嫌われる勇気」という言葉を敢えて実践しているか否かは分かりませんが、私たちが彼女のように人々に賞賛され、認められる仕事をしたいのであれば、「嫌われる勇気」という概念を心のどこかに置いておく必要があるのかもしれません。

 


参考資料:

1.ジェリー・オッペンハイマー「Front Row アナ・ウィンター ファッション界に君臨する女王の記録」(マーブルトロン、2010年)P240
2.ジェリー・オッペンハイマー「Front Row アナ・ウィンター ファッション界に君臨する女王の記録」(マーブルトロン、2010年)P338
3.釘原 直樹「人はなぜ集団になると怠けるのか – 「社会的手抜き」の心理学」(中公新書、2013年)Kindle P31
4.森川 亮「シンプルに考える」(ダイヤモンド社、2015年)Kindle kindle P465
5.ニコラス・カールソン「FAILING FAST マリッサ・メイヤーとヤフーの闘争」(角川書店、2015年) Kindle P4645