クリスチャン・ルブタン
私は快適と幸福は全く違うものだと考えている。
SNSの普及は、人間関係に新たな「快適さ」を産み出しました。アメリカでSNSを使用している2,000人を対象に行った調査によると、回答者のおよそ40%が、実際に会うことよりもSNSでつながる関係のほうが快適だと感じていることがわかりました。
しかしながら、必ずしも「快適な関係が人々を幸せにするのか」という問題はまた別の話であって、この快適さとは「努力をしたくない」という意識の裏返しでもあり、相手を思いやる気持ちがない自分本位な状態とも捉えることができます。それとは正反対に、本当の「幸せ」は、その人がいない生活が考えられない状態になるほどに努力をして、深い関係になることで掴み得ると言い換えることができます。
2015年5月3日のNHKスペシャルでは、小さな集落で自給自足に近い生活を送る夫婦が、視覚と聴覚を失った妻との唯一のコミュニケーション手段である「触会話」を使いながら生活する様子に密着したドキュメンタリー番組『見えず 聞こえずとも~夫婦ふたりの里山暮らし~』が放送されました。そこには、何でも揃っていて簡単に意思疎通ができる生活と比べると、明らかに不自由で厳しいものに違いないのにもかかわらず、「幸福」に溢れた二人の姿が描かれています。
快適と幸福が別の性質のものであるというのは、科学的にも検証されおり、「脳の取扱説明書」とも呼ばれる心理言語プログラミング、NLPの専門家であるショーン・マンタックも、次のように述べています。
「快適は幸福に比べて簡単に手に入る。しかし幸福を手に入れるには”快適”に打ち勝たなければならない。」
年間85万足以上の靴を生産し、世界に熱狂的なファンを抱える高級シューズブランド「クリスチャン・ルブタン」の創設者、クリスチャン・ルブタンは、近年のスポーツメーカーが出しているような歩きやすい快適な靴の流行には目もくれず、「快適」とは程遠いハイヒールにこだわったデザインを発表し続けており、その理由を次のように述べています。
「例えば誰かに私のことを話す時、人々に私のことを‘情熱的な人だ’と言って貰いたい。それと同じように私の靴も”快適そうだ”と言われるより、”情熱的でセクシーだ”と言って貰いたい。私は快適と幸福は全く違うものだと考えている。」
しかしながら、ハイヒールを履かない人たちから見れば、ハイヒールは、捻挫をはじめとする様々な健康被害を引き起こすものという認識があり、ワシントンタイムズでも、ロシアのオレグ・ミケーエフ議員が「ハイヒール禁止」法案を提出したと報じられていますが、ルブタンに言わせれば、足に負担がかかるからハイヒールは悪だという意見は偏見であるとして、次のように語っています。
「女性たちにハイヒールを履くなと言う人たちは反男女同権主義者だと私は考える。彼らは女性は正しい判断が出来ないと見下しているんだ。」
ルブタンがハイヒールのデザインに気持ちを奪われるようになったきっかけは、彼が幼少期に偶然訪れた美術館で、ハイヒールを履いている女性に感銘を受け、女性を元気づけ、勇気づけるための手段としてハイヒールをデザインしたいと思ったことが始まりでした。
彼がダイアナ妃のために靴をデザインした際には、とても悲しそうに俯いていたダイアナ妃の写真をみてインスピレーションが沸き、次に彼女が俯いた時には靴を見て笑顔になって欲しいという願いを込めて、靴に‘LOVE’という文字を描いたというエピソードがありますが、彼の靴には機能性や快適さなどのどんな要素よりも、それを履いた女性が「幸福」になることが優先されています。
今日の多くの女性は結婚、出産を経て、仕事をするビジネスマンの顔、家事をする妻の顔、子供の面倒を見る母親の顔など、多くの顔を持ちあわせており、その場面ごとに自分のアイデンティティや役割を使い分けることを余儀なくされています。そうしためまぐるしい毎日に対応するために、効率を優先するあまり、最初にあきらめてしまうのは、一番大切なはずの女としての顔なのかもしれません。
ルブタンを履くことで、まるで魔法のように女性が元気になるのは、多くのルブタン愛用者に通じる気持ちの変化から来るもので、アメリカの女優、ケリー・ワシントンは、2014年のオスカー授賞式で、臨月の体を抱えながらも、ルブタンを履くことを譲らず、周囲の心配をよそに、全く不安はなかったという自身の心情を次のように語りました。
「私がルブタンを見つけたのは本当の自分を探している時でした。ルブタンの赤い靴に足を踏み入れたら、この世界で自分が何なのかわかったのです。」
クリスチャン・ルブタンは「女性がハイヒールを履いたら全く違う立ち振る舞いになる。女性は履く靴によって、セクシー系や可愛い系などいろいろな自分になれる」と語りました。
いくつもの役割を担わなければならない現代の女性は、その場面や立場にふさわしい靴に履き替えながらも、少しだけ自分を飾る努力をすることで、「女」という最も本質的な自分の存在に気づくことができるはずです。それが、本当の意味での「幸福」な人生を送る第一歩になるのではないでしょうか。