ストーリー

One Life, One Thought
Vol. 57

歌舞伎 市川家を支えた 堀越希実子

先祖がやってきたことに工夫をプラスして次の人に伝える

2017/06/30

Illustrated by KIWABI - Kimiko Horigoshi

歌舞伎の名門として有名な市川家に嫁いだ堀越希実子さんは、結婚するまで歌舞伎のことなど何も知らないフランス文学科の女学生で、夫であった市川團十郎の母親も他界していたため、梨園のことなど何もわからないまま、結婚当初は「あなた、こんなことも知らないの?」と何度も注意を受けたそうです。

十二代目市川團十郎の身の回りの世話や体調管理、家事育児といった家庭内のことから、他の役者さんやご贔屓(ひいき)さんへの挨拶回りなど、役者の女房としての仕事も大変でしたが、長く続く成田屋の名前と伝統を守らなければならないという重圧は凄まじく、その責任の大きさを考えると眠れないことも多くあったと言います。

希実子さんは、衣装や道具、器、家具など、ずいぶん昔から受け継がれてきたものを見るにつれ、伝統を大事にしなければという気持ちが増し、「外から嫁いできた私が市川家でやるべきことは何なのだろう」と考えるなかで「『先祖がやってきたことに工夫をプラスして次の人に伝える』、これだと思います」と思い至ったそうです。(1)

伝統を感じる気持ちはゼロからでも養える

↑伝統を感じる気持ちはゼロからでも養える (リンク)

そんな彼女が歌舞伎の世界へ入り、着物を着るようになった当初、自信のなさから足が震えるくらい緊張してしまい、着物が浮いているような感じがしていたのだそうですが、20年ほど前から自ら着物のデザインを手がけるようになりました。

「伝統を感じさせつつ、どこか冒険がなくてはならない」と悩んでは、それが楽しみでもあるともいい、「茶屋ごろも」という自身のブランドでは、歌舞伎役者の妻として、お客様より派手にならず、かといって地味すぎないことを意識した「出ず入らず(出しゃばらず、控えめすぎず)」をコンセプトに、長年にわたって愛する事のできる着物を多く発表しています。(2)

余分でも不足でもないちょうどよさが美しい

↑余分でも不足でもないちょうどよさが美しい  (リンク)

十八代目 中村勘三郎は、「人間の本質は変わらない。でも時代は変わる。だから、立ち止まるわけにはいかないと思います」という言葉を残していますが、そのような想いから、彼は現代劇の舞台である渋谷のシアターコクーンで歌舞伎の公演をやろうと前代未聞の挑戦を始めました。

コクーン歌舞伎と呼ばれるこの歌舞伎は、歌舞伎役者以外の俳優を採用したり、現代のポップミュージシャンを起用するなどの斬新な演出を行っていることが特徴で、BGMとしてのトランペットの演奏や農作業の様子をラップで歌い上げるなど「歌舞伎と現代の融合」を目指した試みが数多く行われています。

伝統的な歌舞伎の世界だって進化のために変化し続けている

↑伝統的な歌舞伎の世界だって進化のために変化し続けている(リンク)

「伝統楽器の響きを新しい形で伝えたい」と語る和楽器グループの竜馬四重奏は、三味線や篠笛・鼓といった伝統的な楽器にヴァイオリンを組み合わせて古典音楽をベースにポップスなどの現代的な音楽を取り入れた独自の演奏を行っていて、伝統的な音楽の世界でも日々新たな伝統の形を目指した工夫が加えられました。

また、人形浄瑠璃の世界では、作家の三谷幸喜元禄時代に作られた「曽根先心中」の世界観を現代の言葉でパロディとして書いた「其礼成心中(それなりしんじゅう)」が好評を集めましたが、人形浄瑠璃の独特の言い回しなど、言葉が難しく分かりづらい点をカタカナ語や関西弁を取り入れて古くからある人形浄瑠璃世界にも新しい風が吹き込まれています。

伝統芸能も広く受け入れられてこそ意味がある

↑伝統芸能も広く受け入れられてこそ意味がある (リンク)

最近は重箱に敷き詰めた酢飯の上に、ブロック状に具材を盛り付けた彩り豊かな「モザイク寿司」がSNSで注目されていて、インスタグラムでは2000枚以上の写真が投稿されており、プリンスホテルでもオシャレでカラフルなお寿司ランチが提供されるなど、寿司の世界にもニューウェーブが到来しており、日本の伝統的な国民食も今なお進化を続けているのです。

希実子さんも結婚してから40年の間、毎日料理をしているうちに「ひとつだけでいいから、何か工夫してみよう」と考えるようになり、卵焼きひとつとってみても味付けはもちろん、卵の種類を変えたり、卵を買う店を別のところにしてみたりと様々な工夫を行ったそうで、「私が伝えたものに麻央ちゃんが工夫を加えるもの。それが本当の家庭の味だと思います」と語っています。(3)

古くからあるものに工夫を掛け合わせることで新しい味が生まれ続ける

↑古くからあるものに工夫を掛け合わせることで新しい味が生まれ続ける (リンク)

市川家の伝統を学ぶ中で希実子さんは、初代の團十郎から今の海老蔵まで成田屋の人びとが受け継いできたものは「工夫する精神」であると感じるそうです。

これについて養老孟司は「どれだけ弟子が師匠に似せようと真似をしても、どうしてもできないもの、ほんの少しではあるけれど師匠の形どおりにできないところというのが個性となって見えてくる」ということを言っています。(4)

希実子さん自身「長く続いていることは形式といえば形式ですが、この形を守っているうちに心が入ってきます。心と形が一緒になったとき、大事が行われる、だからこそ、形を続けることには意味がある」と語っていますが、やはり大切なのは形式を守るだけでなく、その背後にある心意気まで受け継いでいくことだと言えるでしょう。(5)

つまるところ、文化や伝統を継承していくということは、単に様式を次の世代へと受け継いでいくという事にとどまらず、今まであるものに工夫を凝らして、よりよいものを作り出そうという心を伝えていく事なのかもしれません。

参考書籍
1.堀越希美子 「成田屋の食卓」(2016年、世界文化社)Kindle 29
2.堀越希美子 「成田屋の食卓」(2016年、世界文化社)Kindle 147
3.堀越希美子 「成田屋の食卓」(2016年、世界文化社)Kindle 10, 196
4.養老孟司「養老孟司の幸福論」(2015年、中公文庫)p21
5.堀越希美子 「成田屋の食卓」(2016年、世界文化社)Kindle 29