ストーリー

One Life, One Thought
Vol. 82

遠藤周作

人間、好奇心がなくなったらおしまいだ。

2018/02/16

Illustrated by KIWABI - Syusaku Endo

遠藤周作は昭和から平成にかけて活躍した小説家で、主な受賞歴を並べてみると芥川賞に始まって、新潮社文学賞、毎日出版文化賞、谷崎潤一郎賞…と切りがなく、さらに海外でも、名誉博士号を授与されたり、ローマ法王庁からも勲章を受けたこともあります。

輝かしい経歴がありながら遠藤は「今ふりかえってみると、まずしいながら私だけの作風をやっとつかむことができたのは五十歳になってからである」と語っていますが、その人生は決して順風満々なものではなかったようです。(1)

遠藤は小学校の時も中学校の時も成績が悪く、優等生だった兄と比べられてはいつも馬鹿扱いを受けていたといいます。

50年続けてやっとそこでオリジナリティが見えてくる

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そんな遠藤を救ったのは「今は他の人たちがお前のことをバカにしているけれど、やがては自分の好きなことで、人生に立ち向かえるだろう」「お前は、1つだけいいところがある。それは文章を書いたり話をするのが上手だから、小説家になったらいい」という母の言葉でした。(2)(3)

そして母親に褒められるのが嬉しくて夢中で小説を書いていた遠藤はいつしか小説家になろうと思い始めたのです。

たった1つ好きなことがあれば人生それで生きていける

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12歳の頃に母親の意思によってカトリックの洗礼を受けた遠藤は、日本の精神風土とキリスト教の関係を追究することに注力し、信仰についての深い悩みを描く小説家として宗教と人の生き方をテーマにした作品を生みだしました。

その一方で遠藤は、ぐうたらで人を笑わせる愉快なエッセイストという顔も持ち、また、好奇心の赴くままに素人演劇集団を立ち上げたり、宇宙棋院と名付けた囲碁サロンを設立したほか、ダンス、合唱、絵画なども嗜んだそうです。

そして、それらは全て小説を書くことに返ってくると考えるようになったとして、遠藤は次のように述べています。

「ある時期から私は自分の中のいろいろなチャンネルを1つだけと限定せず、できるだけ多く回してやろうと考え始めた。音ひとつを鳴らして生きるのも立派な生き方だが、2つの音、3つの音を鳴らしたって生き方としては楽しいじゃないかと思うに至ったのである。」(4)

いろんな音を組み合わせて自分だけの人生を作曲しよう

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身の回りの事柄に関心を持ち、深く調べていく中で「どういう要素が絡んでいるのだろう」とその構造を考えることは、ビジネスにおいても有効であると考えられています。

投資家の藤野英人さんによると、日本の会社と違って外資系の会社では、トップ層になればなるほど高い教養を兼ね備えている傾向が強く、仕事の知識以外にも例えば人間とはどういうものなのかということをより深く探求していることが商品作りにも生きるのだそうです。

最近では、働き方の見直しの一環で副業や兼業を認める企業も出てきていますが、これは単純に会社にとっての利益が考えられているだけではなく、面白いことがあれば、それを追求する方がより豊かな人生を生きられるというように私たちの価値観自体も変わってきているからなのかもしれません。

面白いことをとことんできないようでは仕事なんてできるはずない

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メジャーリーグのイチロー選手もまた好奇心に満ち溢れた人物で、例えば「どうやったら今よりももっといいスイングができるだろうか」ということを彼ほど追求している選手はそう多くは存在しないでしょう。

そんなイチロー選手は、たくさんの情報を詰め込んで頭でっかちになりがちな現代の野球選手に対して、まったくミスをしないで目標に到達するなんてことなんて無理だと指摘しており、無駄なことを避けてばかりいると、人としての深みが生まれなくなってしまうと語っています

その時は一生懸命頑張っているつもりでいるのに、後から振り返った時にそれが結局無駄だったと思えるということは、つまり自分がその分だけ進化したということであり、そう考えると最初は遠回りして色々な経験をすることによって一番の近道が自然と見えてくるのではないでしょうか。

成功よりも失敗をして試行錯誤することに価値がある

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遠藤は60歳になる少し前頃から、自分の人生を振り返った時に、やっとすこしだけ「今の僕にとって何ひとつ無駄なものは人生になかったような気がする」という気持ちになったと言います。(5)

あちこちぶつかりながら人生を過ごしてくると、ずいぶんと無駄なことをしてきたと思うけれど、ある時点で振り返ると、すべてがつながって今になっているのだと感じたのだそうです。

私たちは年齢を重ねるほど、効率を重視して合理的に行動しようとしてしまいがちですが、あえて遠回りと思えることをすることによって、人としての経験値が溜まって、より深みのある人生を送れるようになるのではないでしょうか。

参考資料
1. 久恒啓一「遅咲き偉人伝 − 人生後半に輝いた日本人」(PHP研究所、2010年) Kindle 538-540
2. 久恒啓一「遅咲き偉人伝 − 人生後半に輝いた日本人」(PHP研究所、2010年) Kindle 564
3. 久恒啓一「遅咲き偉人伝 − 人生後半に輝いた日本人」(PHP研究所、2010年) Kindle 568
4. 遠藤周作「人生には何ひとつ無駄なものはない」(朝日文庫、2005年) P15
5. 遠藤周作「人生には何ひとつ無駄なものはない」(朝日文庫、2005年) P16