ストーリー

One Life, One Thought
Vol. 61

女優 松たか子

ファンは有難い存在。でも、そこにすがったり媚びたりするつもりは全くありません。

2017/08/09

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平成の日本アカデミー賞は女優、松たか子の歴史といっても過言ではないでしょう。松は「ヴィヨンの妻」で受賞した最優秀主演女優賞をはじめ、三度の優秀主演女優賞、そして優秀助演女優賞など数多くの賞を受けました。

また、歌手としても精力的に活動し、ディズニー映画「アナと雪の女王」で歌った「Let it go」は100万ダウンロードを記録、世界25ヶ国語で歌われたものが一つにまとめられた動画では、他の言語の歌手に比べて、松の歌唱力を賞賛するコメント数が一番多かったそうで、国際的な評価を受けています。

 

その演技、歌声は国境を超えた

その演技、歌声は国境を超えた(リンク

今でこそ日本を代表する女優との名声を得ている松ですが、デビュー間もない頃は歌舞伎俳優である九代目松本幸四郎の娘であるがゆえに、世間からは二世芸能人と色眼鏡を通して見られました。そして、彼女に関する報道には、本人ばかりか家族のことまで批判するバッシングも数多く、それらを目にする度に怒りを通り越して、心が締め付けられるような悲しみに打ちひしがれていたそうです。(1)

デビュー時のスポーツ新聞の見出しは「幸四郎の娘、デビュー」で、まあその通りなのだから仕方ないなと思いつつも、周囲からの目が少し気になっていた松ですが、父である九代目幸四郎と兄である七代目市川染五郎の二人が演じた「連獅子」を見ていると次のような考えが浮かんできたといいます。

「この人たちは親の七光りどころではない、一方は九代目、もう一方は七代目。八代も九代も、それ以上の先人たちの恩恵を受けて今ここで勝負をしているのではないかと、自分が気にしていることは何てちっぽけなことなんだろう。」

名を継ぐということ、先人たちの恩恵をもらうということ

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松が芝居の道を進むきっかけは父、松本幸四郎にありました。幼き頃の松にとって、幸四郎は常に完璧で弱みを見せないヒーローのような存在だったといいます。しかし、松が小学校6年の時に「ラ・マンチャの男」でドン・キホーテ役として舞台に立った幸四郎は、母・正子が危篤状態であったために、病院と稽古場の往復で疲労のピークに達しており、声の状態もベストではありませんでした。(2)

「こんな姿をお客さんに見せてほしくない」と憤りまで感じていた松ですが、次第に舞台上の父がボロボロになっても夢を追い続けるドン・キホーテそのものに見えてきて、また、そんな姿に拍手を送る観客の様子にも心から感動したそうです。そんな中、不思議と冷静に芝居への道を志す気持ちが湧いてきたのでした。

憧れたのは、ボロボロになっても観客を魅了し続ける父

憧れたのは、ボロボロになっても観客を魅了し続ける父(リンク

高名な父のおかげで、経験がないのに大きなチャンスをもらえたり、様々な人に気にかけてもらえたり、多くの面で恵まれていたのですが、そういったプラス要素は、時に自分を苦しめ、謂れのない非難や中傷を運んできたこともあったそうです。

しかし、「自分をしっかりと持っていれば、恵まれているからといって自惚れることも卑屈になることもない、父と同じように芝居の力を信じるのみです」と、今では「幸四郎の娘」という境遇を楽しむことができるようになったと言います。

自分をしっかり持つことが、周囲に惑わされず、人生を楽しむコツ

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友人にあだ名をつけたり、ある時代の若者を「〜世代」と呼んでみたり、人間は本来的に他人の個性や行動を束ねることが好きなのだと、心理学者の河合隼雄は述べました。(3)

少し素行の荒い子供を「非行少年」というふうに束ねて一辺倒に扱ってしまったり、「優等生」と呼ぶことで本当は活発に遊びたいという子供を抑制してしまうことも多々あり、「親の七光り」という言葉もその人の可能性を狭めてしまうのかもしれません。

また、他人の評価ばかりを気にしていると、他人に決められた枠をはみ出すことのできない面白みのない人間になり、標本箱に留められた昆虫のように身動きが取れなくなってしまうのです。

誰にも定義されない自分を持つ

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松は「ロマンス」という舞台に出演していた頃に、ある女子高校生からファンレターをもらいました。彼女は生まれて初めて受け取ったバイト代を使い、生まれて初めての舞台を見に来てくれたのだそうで、劇場の空気に緊張しながら観た後には、彼女なりの夢が見つかったと綴ってあったといいます。(4)

その手紙には心が温められたと同時に、周囲、ファンとの関わり方を再度考えさせられたと、次のように語りました。

「ファンの一人一人の純粋なメッセージには、仕事への思いをより明確にしてくれる力があります。ただ、そこにすがったり媚びたりするつもりは決してありません。そうすることで得たものに幸せはない、と信じています。」

松には芝居や音楽に対して、常に自由で、そして誠実でありたいという想いがあり、周囲からの期待や要求に応えるために演じることはそれに反するのでしょう。(5)

自由に。自分の信じるままに演じる

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人は生きていく上で、必ず誰かに支えられているもので、それはファンであったり、育ててくれた親であったりしますが、だからといってその人たちに気に入られることだけを考えた演技や生き方をすることは往々にして、自分自身の幸せと反対方向に進んで行ってしまいます。

そうではなく、自分の信じる演技を心がける松のように、周りの人に感謝をしつつも、自分ならではの判断の軸を持って生きていくことが、より充実した人生を送っていく上で、とても重要なのではないでしょうか。

参考書籍
1.松本幸四郎、松たか子 「父と娘の往復書簡」 (2008年、文藝春秋) p89-91
2.松本幸四郎、松たか子 「父と娘の往復書簡」 (2008年、文藝春秋) p9-12
3.河合隼雄 「河合隼雄の幸福論」 (2014年、PHP研究所) Kindle 2438-2472
4.松本幸四郎、松たか子 「父と娘の往復書簡」 (2008年、文藝春秋) p219-220
5.松たか子 「松のひとりごと」 (2003年、朝日新聞社) p82-87