KIWABISM

One Life, One Thought
Vol. 60

報道写真家 ゲルダ・タロー

戦争を本当に理解するには最前線に身を置く以外に方法はないのよ。

2017/08/09

(リンク)

女性写真家であるゲルダ・タローは20世紀を代表する戦場カメラマンとして有名なロバート・キャパの人生に大きな影響を与えた女性です。

ドイツでユダヤ人の家庭に生まれ育ったゲルダは、名門女子高に通い、容姿は端麗で陽気に騒ぐのが好きな女の子でしたが、クラスメイトを家に招いた時に、家具などの家の雰囲気がユダヤ風だったことを容赦の無い笑いのタネにされていまい、それ以来徹底して出自と家庭を隠していました。

父の事業の都合でドイツ第三の産業都市であるライプツィヒへ引越すと、当時19歳だったゲルダは社会的不平等の原因や階級闘争、反ファシズム活動について熱く語り合う生徒組合へ参加するようになります。

そして以前住んでいた町へ帰って、昔のクラスメイトと再会したゲルダは、ドイツの行き先に対してまるで無関心な友人たちに対して「私はもはやあなたたちの仲間ではない」と宣言したのです。(1)

本当の自分を隠しているなんて私にはできないわ

本当の自分を隠しているなんて私にはできないわ (リンク)

ナチスによる迫害を受け、24歳でパリへ移り住んだゲルダは、それまで叔母の強い希望で通っていたお嬢様学校での堅苦しい日々から解放されて、「自分はパリへ来て初めて正しく生き始めたのだ」と友人に語っていました。(2)

やがてゲルダはパリで、ゲルダと同じようにユダヤ人排斥を逃れて祖国のハンガリーからやってきたアンドレ・フリードマンという写真家と出会うのですが、これをきっかけにゲルダはすぐに写真を撮ることに夢中になります。

アンドレの才能を信じたゲルダは、なんとかして彼を売り込むことができないか考えると、彼を床屋へ行かせ、スーツを着せてスマートなビジネスマンとして堂々と上流社会を渡り歩いて行く理想のタイプを作り上げました。

そして自分たちの写真をアピールするために、アンドレは裕福なアメリカ人写真家ロバート・キャパとして振る舞い、ゲルダはキャパのエージェント兼写真家としてポホリレという名をタローと改め、ゲルダ・タローと名乗るようになります。

そこにはユダヤ風の名前を改めることでユダヤ人に対する人種差別から逃れるというだけでなく、ナチスに国を追われた自分たちがキャパとタローという外国人の名前で活躍することによって、ナチスの自分たちへの扱いに反抗するという意味合いも込められていたようです。(3)

差別されるのではなく、主役を演じるための舞台を作り出すんだ

差別されるのではなく、主役を演じるための舞台を作り出すんだ (リンク)

1936年にスペインで総選挙に敗れた軍部ファシストによる反乱が起こると、2人は戦争を撮影することで写真家として自分たちもファシズムと闘うためにスペインへ旅立ちました。

軍国主義を信望するファシストとそれに対抗する人民の戦いであるスペイン内戦の取材を職業上の挑戦と捉えると同時に、ユダヤ人である自分たちの運命的な命題であると感じていたのです。

反ファシズムの作家で戦争反対を叫び続けたロマン・ロランは「いつまでも続く不幸というものはない。じっと我慢するか勇気を出して追い払うかのいずれかだ」と述べていますが、キャパとタローはまさに勇気を持って不幸に立ち向かう生き方をしていたのではないでしょうか。

黙って見ていても現実は何も変わらないでしょう?

黙って見ていても現実は何も変わらないでしょう?(リンク)

ロバート・キャパは「君がいい写真を撮れないのは、十分に近づいていないからだよ」といった言葉を残しています。

そしてゲルダも、どんな時でも安全な塹壕ではなく、攻撃の先陣に身を置く写真家であり続け、「戦争を本当に理解するためには最前線に身を置く以外に方法はないのよ」という言葉を残しました。

ゲルダとキャパは戦争の間近まで接近していましたが、単に物理的に危険な最前線に踏み出て撮影を行ったのではなく、共にファシズムと戦いたいというゲルダとキャパの思いが兵士との間に強い連帯感を生み出して、本当の意味で対象に近づくことができたのです。(4)

写真を撮るということは自分も戦争に参加して闘うということ

写真を撮るということは自分も戦争に参加して闘うということ (リンク)

ゲルダは兵士と同じ目線でに戦争を体験することをやめず、自分の三脚に敵の銃弾が命中した時も「心臓でなくてよかったわ」と言っただけで、まったく恐れることなく、命を危険にさらしながら何度も攻撃の波に加わって兵士と共に前進しました。(5)

ゲルダはスペイン内戦の取材中に命を落とすことになりますが最後の時も、ここは5分後には地獄になるから立ち去るようにと命じる将軍の忠告を無視して、地下壕へ潜り込み、銃弾の雨が降り注ぐ中、カメラを頭の上に掲げて、銃を持った男たちを撮り続けたのです。

A sad asian woman is standing on the ruin of her house

死が突進してきても最後の瞬間までゲルダは写真を撮り続けた(リンク

ゲルダは政治のあり方に反抗するために戦争を撮ったのであり、彼女が撮影した戦時下の生々しい日常生活の写真、兵士や一般市民の人々のポートレートは、戦争と近代化を過度に美化するファシズムに対しての反論だったのです。(6)

反ファシズムの亡命者として兵士と共に自ら闘争に参加し写真を撮り続けたゲルダの死は、ただ単純にそこへ行けばいいといった表面的な現場主義ではなくて、そこにいる人たちの中に入っていき、彼らと共に感じ、彼らと共に考えなければ本当の現場は見えてこないのだと私たちに伝えてくれているのではないでしょうか。

参考書籍
1.I・ジェーン・ロゴイスカ 「ゲルダ・タロー:ロバート・キャパを創った女性」 (2016年、白水社) p21
2.I・シャーパー 「ゲルダーキャパが愛した女性写真家の生涯」 (2015年、祥伝社) p112
3.I・シャーパー 「ゲルダーキャパが愛した女性写真家の生涯」 (2015年、祥伝社) p156
4.I・シャーパー 「ゲルダーキャパが愛した女性写真家の生涯」 (2015年、祥伝社) p207
5.I・シャーパー 「ゲルダーキャパが愛した女性写真家の生涯」 (2015年、祥伝社) p309
6.I・シャーパー 「ゲルダーキャパが愛した女性写真家の生涯」 (2015年、祥伝社) p274