KIWABISM

One Life, One Thought
Vol. 58

「永遠の処女」と呼ばれた、女優 原節子

もっと嫌な運命よ、来なさいっていう変な自信があるんですよ。

2017/07/06

(リンク)

映画監督が選ぶ好きな映画ランキングの常連「東京物語」に主演した原節子は、恋人役も母親役もこなせる女優として期待されながら、42歳でスクリーンから姿を消し、半世紀にわたってマスコミとの接触を絶ったのち、2015年に95歳でこの世を去りました。

世界恐慌で家業が危うくなり、家計を支えるために14歳で女優になったのだという節子の女優人生は、自分ではどうにもできない“嫌な運命”の連続でもありました。

「永遠の処女」と呼ばれ脚光を浴びた人生は嫌な運命の連続だった

↑「永遠の処女」と呼ばれ脚光を浴びた人生は嫌な運命の連続だった (リンク)

節子が女優になった当時、女性が人前に顔を晒すことは恥とされていたこともあって、女優業はとても低く見られており、女優を目指すなどと親に言おうものなら「お前はそんな賤しいものになりたいのか」という返事が返ってくるほどだったそうです。

現場でひとり孤独な空気を漂わせては本を読みふけっていた節子の態度は、周囲から「可愛げのないヤツだ」として受け取られましたが、節子の美貌と風格、孤高な演技者としての姿を間近で見た映画監督の新藤兼人は「まるで僕にはライオンのように見えた」とコメントを残しています。(1)

それは本人の言うように「私は女学校をやめて14歳からこういう仕事をしているのだから勉強しなくてはいけない」ということもあるのだと思いますが、大勢でワイワイと騒いでいるだけでは見つけることのできない美しさを、静けさの中から感じ取っていたのかもしれません。(2)

ひとり自分と向き合うことで自分の中にある「美」を見つける

↑ひとり自分と向き合うことで自分の中にある「美」を見つける(リンク)

映画史上初の日独合作映画がつくられた時には、節子は「西洋人の目から見ても美しい女性」ということで主演に抜擢され、舞台挨拶のために渡欧します。すると、日本では堕落した一面を持ち、蔑みの目で見られる俳優が、西洋では高い知性と教養、品格を備えていて社会的な地位も高いことにとても驚き、節子が高潔に生きることを意識するようになったことは次の言葉にも表れています。

「結局慌ただしい欧米の旅の後に得た私の感想の結論としては、今後私も人格的に生きて行きたいということです。日本人でも映画人をもっと真面目な目で見て頂きたい、それには俳優ももっと真面目に人格的にならなければならない、そういうことをしみじみと感じて来ました。」(3)

そんな節子は他の女優が水着写真の撮影や舞台女優として活躍の場を広げているのを横目に、本分である映画女優に専念し続けました。「志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない」と吉田松陰も語っていますが、たとえ女優業が望んだ道ではなかったとしても節子が映画女優としての自分にいかに大きな誇りを抱いていたのかがわかります。

原節子「もっと精神の強い人間を演じたい。もっと人格的に生きたい。」

↑ 原節子「もっと精神の強い人間を演じたい。もっと人格的に生きたい。」(リンク)

戦後、民主主義に沸くようになると、節子は自我の強い女性を演じることができるようになり、500万人を動員した戦後の日本を描いた映画「青い山脈」では、”戦後の象徴”と言われ、押しも押されぬ大女優となりました

しかし、節子は、友人たちにたびたび「私には不幸が向こうからやってくる」と話していたそうで、出演作でカメラマンを務めていた実兄を撮影中の事故で亡したこともあり、その時には東京から駆けつけた実兄の妻とともに一晩中泣き明かし、翌朝は放心状態だったといいます。

その後、事故で亡くなった兄の家族や戦争で亡くなった長兄の家族のために必死に働き続けますが、さらなる不幸として今度は撮影時に強い光を浴び続けたことで白内障になり、このまま放置すれば左目の視力を失うと告げられてしまいます。まばたきを一度でもすれば失敗してしまうという危険な大手術を、女優として鍛えた意思の力でまばたきをすることなく、見事手術を成功させたのです。

原節子「映画はやはり美しいものを与えるのが本当だと思う。」

↑ 原節子「映画はやはり美しいものを与えるのが本当だと思う。」(リンク) 

戦後の時代が終わるとともに、アクション映画やギャング映画を売り物にし始めた映画界と修身的な女性や倫理的な映画を求める節子の理想像は段々とかけ離れたものになってしまいます。そのためもあってか節子は特に引退を表明することもなく静かに映画の舞台から姿を消しましたが、その終わり方は節子が昔から演じたいと望んでいた倫理的な映画や子どもに夢を抱かせる映画を演じることができないのであれば女優を辞めるのも厭わないといった潔さを感じることのできる幕引きでした。

「私は生まれつき、欲が少ない性格なのかもしれません。美味しいものが食べたいとか、いいお家に住みたいとか、いい着物を着たいとか思わないのです。ですから、損得でものを喋ったり行動したことはございません。自分を卑しくすると、あとでさびしくなるので、そういうことは一切しないようにしています。」ときっぱり述べていた節子は数々の不幸に動じることなく、周囲の人間や時代の流れが変わっても一貫して強い意志を持ち続けていたのです。(4) 

日本では古くから「和をもって貴しとなす」ということが美徳とされているためか、どうしても周囲に迎合しようとしてしまいがちですが、作家の遠藤周作が「アマノジャクや、周囲から変わってるといわれる人はきっと、心に宝石をもっている」と言うように、異論を持ち続け、それをはっきりと述べることで節子は自分の中にある宝石を磨き続けたのではないでしょうか。(5)

人生には損得を超越したものがあってそれに邁進するという一面があってもいいんじゃないか

↑人生には損得を超越したものがあってそれに邁進するという一面があってもいいんじゃないか (リンク)

人気絶頂期の節子を見ていた「青い山脈」の今井正監督は節子のことを、「いつか生活の条件が変わるならば俳優であることをやめ、静かな別の生活に入りたい、そんな気持ちがいつも心の底に動いている」と話していました。(5)

若いうちから家族親戚のために働き続け、引退後にはバブルによる土地の値上がりで長者番付にのるほどの財産を得た節子ですが、彼女は引退後もずっと質素で読書にいそしむ生活を送っていたそうで、その姿は子供のころのクラスメイトがみた優等生の節子と重なったそうです。

望まない運命に翻弄されながらも、結局節子が自身が願っていた自分らしい暮らしを実現することができたのは、たとえ孤立しても自分らしく生きることを続けてきたからなのではないでしょうか。

参考書籍
1.石井妙子 「原節子の真実」 (2016年、新潮社) p177
2.石井妙子 「原節子の真実」 (2016年、新潮社) p112
3.石井妙子 「原節子の真実」 (2016年、新潮社) p90
4.貴田庄「原節子 あるがままに生きて」 (2010年、朝日新聞出版) p226, 227
5.斎藤茂太 「幸せを呼ぶ孤独力」 (2005年、青萠堂 p60, 61)
6.石井妙子 「原節子の真実」 ( 2016年、新潮社) p258