ストーリー

One Life, One Thought
Vol. 41

史上最高齢、42歳で金メダルを獲得した ジョー・パベイ

本当に子供の存在が無ければここまで来られなかった。

2017/03/09

Illustrated by KIWABI - Jo Pavey

イギリス人の陸上長距離ランナー、ジョー・パベイは2歳の娘と6歳の息子の母親でありながらも、陸上競技会の世界で今もなおキャリアを築き続けるスーパーママとして人々から注目を浴びています。

ジョーは40歳の時、2人目の子供を出産した10ヶ月後に出場した欧州選手権の1万メートル走で、16歳も年下の選手と競り合って振り切り、この選手権史上最高齢で金メダルを獲得しました。42歳である2016年においては、陸上長距離ランナーとしてイギリス史上初となる5度目のオリンピック出場を果たしており、彼女がここまで輝かしい成績を残せたのは、母親になったからこそ成し遂げられたものであるとして、次のように述べます。

「母親であることが走ることに対して一層の喜びをもたらしてくれ、42歳になった今でも走り続けたいと思えるモチベーションになっている。」

↑16歳も年下の選手と競り合って、42歳で金メダル (リンク)

↑16歳も年下の選手と競り合って、42歳で金メダル (リンク)

ジョーにとって、長いキャリアの中で40歳を超えて歴史に残る偉業を成し得たのは、母親として得られる幸福感が走ることへのモチベーションにつながり、走り続けるその瞬間を楽しいと感じられているためで、一日中目標を達成することばかり考えて、走ることに気後れすることもあった若い頃よりも、今のほうが精神的なバランスが取れているのだそうです

医師の高橋徳氏は、著書「自律神経を整えてストレスをなくすオキシトシン健康法」の中で、「幸せホルモン」や「愛のホルモン」とも呼ばれているオキシトシンが分泌されると幸福感を得られる効果があると紹介しています。

↑激しいトレーニングと幸福感のバランスを取ることで、困難なことも続けられる (リンク)

↑激しいトレーニングと幸福感のバランスを取ることで、困難なことも続けられる (リンク)

ジョーが母親でありながらランナーとしても歴史的な成果を出しているのには、オキシトシンという脳内ホルモンが関係していると考えられ、ジョーは母親の幸福感と走ることの関係性について次のように考えを述べます。(1)

「人生の後半になってランナーとして成功したのは、母親になったことが大きく影響しており、母親として忙しくすることで、忍耐力を養うことができた。時々、走ることに気分が乗らない日もあるけれど、それ以上の心配をすることはなく、只々一生懸命走り続けており、それが結果として金メダルにつながったと思っている。母親とランナーの両立は毎日やることが多く、バタバタして大変だけれど、これ以上の幸せはない。」

↑ランナーと母親の両立、これ以上の幸せはない(リンク)

↑ランナーと母親の両立、これ以上の幸せはない(リンク)

元々オキシトシンは、出産するときの子宮収縮や母乳の分泌を促す働きのある物質として、「母性を促進する物質」「お母さんのホルモン」と考えられてきたそうです。その後、世界的に研究が進められるにつれ、オキシトシンは母親だけでなく、妊娠出産経験のない女性や男性、または高齢者など、人間であれば誰もが分泌できると解明され、自律神経を調整して体の痛みをやわらげ、免疫力を向上させて、人に対する共感力や信頼感をも増幅させるなど、多くの驚くべき効果を発揮することもわかってきています。(2)

このオキシトシンを社会性やコミュニケーションに困難を抱える自閉症スペクトラム障害の成人男性患者に対して6週間連続投与したところ、一緒にいる人との会話に興味を示し、はにかんだりするなど、脳内の他人との交流に関係する部分が活発化したとして、東京大学の研究チームが発表しました

↑出産の時に分泌されるオキシトシンは男性や高齢者でも分泌できる (リンク)

↑出産の時に分泌されるオキシトシンは男性や高齢者でも分泌できる (リンク)

オキシトシンが分泌されると、安心感や信頼感が育まれるという効果があることから、今までになかった自閉症への治療薬として活用できる可能性があると言われており、母親として過ごすことを人生の最優先事項として考えるジョーが、子供と一緒に過ごすことで芽生える精神的な安心感によって、走ることへのストレスを感じなくなったことと併せると、オキシトシンが人間に与える自己治癒力の影響は非常に高いと考えられるのです。

そんなオキシトシンを出産によって分泌する母親は、痛みや苦しみを伴いながら、自分の命に代えてまでも愛する我が子を産んだことで、潜在的に強いストレス耐性を備えており、世の中で一番痛いとされる出産を乗り越えた母親というのは、どんな辛い環境に遭ったとしても、乗り越えることのできる偉大な力を秘めているのかもしれません。

↑子供と過ごす時間が増えることで、走ることへのストレスがどんどん軽減されていく (リンク)

↑子供と過ごす時間が増えることで、走ることへのストレスがどんどん軽減されていく (リンク)

オキシトシンを分泌する上で大切な要素は、「五感への心地よい刺激」と「人との交流」であるため、幼子を持つ母親であれば、日々無意識に行っていると考えられます。

例えば、母親と赤ちゃんが目と目を合わせるだけで心を通わせ、抱っこや母乳を与えることで子供とスキンシップをするなど、母親はオキシトシンを分泌するのに最適な環境下にあり、ジョーのランナーとしての成功は、オキシトシンの分泌によって日常的に幸福感が得られることで、走ることに対するストレスが軽減され、走り続けるための安定した精神力や、身体力を補充し続けていることにあるのではないでしょうか。

↑子供から走り続ける意味を見つけ出す、これが本当のワーク・ライフバランス (リンク)

↑子供から走り続ける意味を見つけ出す、これが本当のワーク・ライフバランス (リンク)

また、高橋氏は「オキシトシンを分泌する遺伝子のはたらきは後天的に変えられる」とも話しており、生活環境を変えるだけで分泌しやすい体質へと改善することができます。

静岡県にある不登校の子供たちを預かる全寮制スクール「元気学園」では、入学してくる子供たちが、人と信頼関係を築き上げる生活ができるように育てていますが、特徴的なのは、人に対する信頼感や共感心が芽生えた子供が元気学園を卒業し、元の学校へ戻っていくと、新たな不登校の生徒を迎え入れるというシステムをとっているところです。

幸福感を感じながら少しずつ成長している生徒たちが、新しく入ってきた一人を取り囲んで学校生活を送ることで、既存生徒の幸福感が新しい生徒へと伝染するような環境を作ることができています。(3)

↑オキシトシンは自然と周りに伝染する (リンク)

↑オキシトシンは自然と周りに伝染する (リンク)

ジョーは母親になってから上手に走れなくてもいいんだと思うようになったと言っていますが、それはトップランナーとして周りに評価されなければならないという結果を追い求めることよりも、走ること自体を自分が楽しみたいと選択したということでしょう。「人間はどうしたら幸せに生きられるのだろう」をテーマに、ハーバード大学で肯定心理学を教え、その授業には何百人という生徒が殺到するというタル・ベン・シャハー氏は著書「HAPPIER幸福も成功も手にするシークレット・メソッド」の中で次のように述べています。

「世の中には、週80時間の労働を心から楽しんでいる成功者たちもたくさんいるのです。成功者であるからといって、必ずしも出世競争型人間であるとはかぎらないのです。」(4)

↑世の中には、喜んで週80時間働くという人もいる (リンク)

↑世の中には、喜んで週80時間働くという人もいる (リンク)

ベン・シャハー氏によると、出世競争型人間とは、「痛みなくして得るものなし」をモットーに、現在の喜びを犠牲にした上で未来の喜びを目指す人達のことを指します。

このタイプの人は、週80時間の労働は昇進するまでの辛抱だと言い聞かせ、目標とする重役のポジションにようやく就くことができたとしても、その喜びは束の間だけで、周りの重役に負けないように、次はもっと上のポジションへ昇りたいと思うなど、目標を達成することだけにこだわり続けてしまうため、いつになっても幸福感を味わうことができないと言います。(5)

↑現在の喜びを犠牲にしていては、決して幸福を味わうことはできない (リンク)

↑現在の喜びを犠牲にしていては、決して幸福を味わうことはできない (リンク)

ベン・シャハー氏が「私たちは子供のころから、目の前の体験よりも遠くのゴールに常に焦点を当てて、未来の幸せを目指しつづけるよう促されてきました」と話している通り、プロセスよりも結果が重視される社会に生きているということは、周りからの評価が自分の幸福度の物差しになっているとも言えます。

母親の中には様々な要因で日々を幸せに感じられていない人もいると思いますが、それは社会的な環境や周りの人からの目線などに生きる軸を置き、自分の軸で生きる意義を見出せていない可能性があるのではないでしょうか。(6)

オバマ政権で国務省政策企画室長を務めたアン・マリー・スローター氏は母親業とキャリアの両立について、次のように話しています。

「有能で仕事熱心な従業員が2人いるとしよう。一人はオフの時間マラソンのトレーニングを積んでいる。もう一人は子育てに奮闘している。子供のいる従業員もマラソンランナーと同じくらい早朝に起床し、出社する前に子供の朝食と弁当を作り、学校に送り出しているだろうが、雇用主はそんなふうに考えない。当然、そういったことが昇進につながることもない。」

↑子育てしている母親もマラソンランナーと同じように早起きしている (リンク)

↑子育てしている母親もマラソンランナーと同じように早起きしている (リンク)

当時、スローター氏には育ち盛りの子供が2人おり、夫も育児に協力的で、仕事はやりがいがあり報酬も高く、まさに絵に描いたようなワーキングマザーとしての人生を送っていましたが、結局は「仕事と家庭の両立は無理」という結論を出さざるを得なかった彼女の言葉からも、仕事の世界では、家庭と両立する女性は戦力として不十分と見なされてしまうという厳しい現実に落胆する女性が多いことは想像に難くありません。

まだまだ働く母親と言えば「仕事に全力を注げない」などの要素を引き算して考える傾向が強くある社会の中でも、ジョーのように幸せを感じている母親は存在しています。

そういった意味で、母親であることを第一優先に位置づけながらランナーを続けることで、「働くならば社会的に評価されることが幸せになるに違いない」「母親というものは家庭に専念して家族を守るべき」といった、社会的な評価に応えようとする義務感から解放されるからこそ、子育てをしながらランナーとしても輝かしい成果を出せているのかもしれません。

↑まずは仕事よりも何よりも良い母親になる (リンク)

↑まずは仕事よりも何よりも良い母親になる (リンク)

母親といっても様々な状況下にあると思いますが、専業主婦として生活していても、またキャリアとの両立に努めていても、ジョーのように自分の時間を生きることで、周りの評価よりも、自分の選んだ道に意義を見出すことは可能ではないでしょうか。

本来、幸福感を感じやすい母親というのは、子育てだけでなく、ストレスが渦巻く社会においても、活躍できる強い精神を備えた存在で、エネルギーに満ちた貴重な人材であることは間違いなく、42歳となったジョーは今でも引退することは考えていないと話しています。

そんなジョーは、もしも母親になっていなければ、歴史的な偉業を成し得ることはできなかったかもしれず、それ程までに母親であるというのは、心身ともに強さを秘めているのです。世の中のあらゆる母親が、スーパーママとして強さを思いきり発揮できる社会が実現すれば、今の世の中に佇む不安感やストレスでさえもパワーに変えて、活力ある日々を取り戻してくれるに違いありません。

 

参考書籍
1.高橋徳「自律神経を整えてストレスをなくすオキシトシン健康法」(2016年、アスコム)Kindle
2.高橋徳「自律神経を整えてストレスをなくすオキシトシン健康法」(2016年、アスコム)Kindle
3.高橋徳「自律神経を整えてストレスをなくすオキシトシン健康法」(2016年、アスコム)Kindle
4.タル・ベン・シャハー「HAPPIER―幸福も成功も手にするシークレット・メソッド」(2007年、幸福の科学出版)p48
5.タル・ベン・シャハー「HAPPIER―幸福も成功も手にするシークレット・メソッド」(2007年、幸福の科学出版)pp41-48
6.タル・ベン・シャハー「HAPPIER―幸福も成功も手にするシークレット・メソッド」(2007年、幸福の科学出版)p49