ストーリー

One Life, One Thought
Vol. 35

ビョーク

極寒の寒さが創造性を生み出す「アイスランド人であることを誇りに思う。」

2017/01/26

Illustrated by KIWABI - Björk Guðmundsdóttir

アイスランドは、北緯65度付近に位置しているために激しく気候が変化し、夏はほぼ一日中太陽が出たままなのに、冬になると日照時間は4時間しかない上、活火山と氷河、大量の雪が身近にある「火と水が隣りあわせ」な国です。

このような厳しすぎる環境に生きているアイスランドの人々の中には、ふさぎ込みがちになり鬱々としてしまう人も少なくありませんが、自分一人ではどうにもならない思いを一人だけで抱えて生きていくのは苦しいもので、誰かと共有したいと思う人もいます。それは、他愛もないお喋りであったり、文章や音楽など何かしらの作品であったりと、形は人それぞれですが彼らにとって「伝える」「表現する」という行為は、生き抜いていくために自然と湧き上がってくるものなのです。

↑厳しい環境で暮らす人々は「何かを伝えたい」という思いが一層強い(リンク)

↑厳しい環境で暮らす人々は「何かを伝えたい」という思いが一層強い(リンク

アイスランドを「美しくもグロテスクな野獣」と呼ぶアイスランド人のアーティスト、ハロルド・ジョンソン氏は、アイスランドだけではなくヨーロッパでもパフォーマンス・アートなどで活躍するようになりましたが、彼はアイスランドという地で生き延びるために、アートによって表現するという手段をとってきたのだと語りました

また、アイスランド出身で、「アイスランド人であることを激しく誇りに思っている」と語ったビョークは、2000年のカンヌ国際映画祭で最高賞であるパルム・ドールを受賞した「ダンサー・イン・ザ・ダーク」で、主人公を演じながら、映画音楽も担当したことに見られるように豊かな表現力を持ち、最近ではバーチャル・リアリティによるパフォーマンスでも注目され、デビュー以来30年近くに渡って独自の世界観を伝え続けています。(1)

↑本当の創造性とは家でじっとしている時に生まれるものなのかもしれない (リンク)

↑本当の創造性とは家でじっとしている時に生まれるものなのかもしれない (リンク)

そんなアイスランドでは、10人に1人が本を出版をすると言われ、人口に対して作家の割合は世界一なのだそうで、ビョークも、アイスランドは「ストーリーテリングの国」なのだと次のように述べました。(2)

「ドイツ人もスカンジナヴィア人もアイルランド人も、何が起こったのか、みんな私たちに聞きに来る。私たちは何もかも書き記しておいたから。ほんとうの意味での絵画はないし、音楽もない。物語を語ることと情報、これだけね。」

その源泉は、アイスランドに長く伝え続けられてきた北欧伝説にあり、ヨーロッパ人が持っている古代ヨーロッパに関する知識のほとんどは、「サーガ」などアイスランドでまとめられた叙事詩として散文に網羅されていると言われていますし、ある時期のヨーロッパについての研究はアイスランドの北欧伝説の研究なしには成し得ないほど、1000年以上も前からアイスランド人にとって「伝える」ということが国民性として確立していたのです。(3)

↑アイスランドで一番尊敬される職業は作家 (リンク)

↑アイスランドで一番尊敬される職業は作家 (リンク

11歳から音楽活動を始め、20代後半でロンドンに渡ったビョークは、海外では自分がアイスランド人であることをいつも以上に意識すると言いますが、ビョークの世界的な成功は、ヨーロッパという文化も経済も豊かな場所で、「伝えること」においては負けないという自国への誇りの延長線上にあるのかもしれません。

そういった考えは、海外で活躍している日本人にもどこか共通していて、「なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか」の著者本田直之氏は、フランスのレストランはいまや日本人シェフなしでは成り立たないというほどになり、お客さんからも「日本人がいると安心する」という評価が定着していますが、もしも日本人シェフがアメリカナイズ、ヨーロピアンナイズというように海外に染まろうとしていたら、おそらくこれほど活躍することはできなかったのではないかと述べています。(4)

↑海外では日本人らしくいることが、一番の付加価値になる (リンク)

↑海外では日本人らしくいることが、一番の付加価値になる (リンク)

実際に、パリで一番といわれるレストラン「アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ」で企業でいえばCOO(最高執行責任者)のようなポジションを務めていた小林圭シェフは、中華でも和食でもフランス料理でも食べられる、世界唯一ともいえる日本人の柔軟さを料理に生かしてきたと言いますし、新居剛シェフは「フランス人に合わせようと思って料理をつくってはいない」というスタンスでありながら、美食の都リヨンにレストランをオープンし、ミシュランの星を獲得しました。(5)

他にも、日本から更に遠く離れたアフリカのタンザニアのザンジバルで1987年から活躍している島岡強氏は、現地の人々から「カクメイジ」と呼ばれており、これはさまざまな事業を成功させて雇用を生み出しただけでなく、柔道の黒帯を持つ島岡氏が現地の人に対して、厳しい練習を通して精神力を鍛えるという武道に宿る精神を柔道を通じて教えてきたことに由来します。

↑フランス文化の中に日本文化を混ぜ込む (リンク)

↑フランス文化の中に日本文化を混ぜ込む (リンク)

今では島岡氏の柔道の教え子たちの活躍はめざましく、自分の道場を持ったり、ゼロからオリンピック出場を狙えるところまでになりました。島岡氏が日本人であることを大切にし、物理的にだけでなく精神的にも豊かな世界づくりに貢献したことには、小さい頃から「日本を出て、貧しい人々のために命をかける本物の革命児」になることを父親から言われて育ってきた背景が影響を与えているのかもしれません。

「アイスランドについて、それから自分がアイスランド出身であることについて、とにかく正直でありたかった」と語っていたビョークは、アイスランド人であることへの誇り高き気持ちを、1997年に『ホモジェニック』として世に伝えることにしました。

↑新しいものは一つの文化からは生まれない、混ざり合うことでまだ世の中にないものが顔を出す (リンク)

↑新しいものは一つの文化からは生まれない、混ざり合うことでまだ世の中にないものが顔を出す (リンク)

このアルバムは、1998年に世界的に名高いグラミー賞にノミネートされるばかりでなく、2011年には20世紀で一番のアルバムだと評されたほどで、アイスランド人としてのビョークが世界的に成功をおさめたというだけでなく、未だに影響力の大きい作品でもあります。(6)

自らのアイデンティティを誇りに思う激しい気持ちは、成功に導いてくれる一つのキーといえるでしょう。自分が何者であるか確信から生じる自信が、時に道標となり、表現となり、何かを選ぶ決断の後押しとなります。海外においても、自分が「何者であるか」という自信がある外国人ほど、現地人にはないチャンスをつかむことができるのではないでしょうか。

 

参考書籍
1.エヴェリン・マクドネル「ビョークが行く」(新潮社、2003) p.41
2.エヴェリン・マクドネル「ビョークが行く」(新潮社、2003) p.37
3.エヴェリン・マクドネル「ビョークが行く」(新潮社、2003) p.36
4.本田直之「なぜ、日本人シェフは海外で勝負できたのか」(ダイヤモンド社、2014) kindle 10
5.本田直之「なぜ、日本人シェフは海外で勝負できたのか」(ダイヤモンド社、2014) kindle 1100
6.エヴェリン・マクドネル「ビョークが行く」(新潮社、2003) p.89