ストーリー

One Life, One Thought
Vol. 17

宇多田ヒカル

もうちょっと普通でいいんじゃない?

2016/09/22

Illustrated by KIWABI - Hikaru Utada

戦後の日本では”みんなと同じ”である事が良いとされ、さらに一律に同じ行動や思考をする人間を育て、一気に経済成長に繋げようとする風潮があったため、皆と違う「個性的」な子は敬遠されがちでした。一方、各国の子育て方針は色々で、アメリカではイノベーションと個性を重んじ「他人と意見が違って当たり前」と自分の意見をしっかりと持ち、個々が持つオリジナルカラーを持ち続けるように指導され、成長していきます。

IBM、NTT、そしてマイクロソフトなどの会議でも採用されている「6つの帽子思考法」の提唱者であるエドワード・デ・ボノ博士が、「子供に問題を与えたならば、その子は素晴らしくオリジナルな解決法を編み出すだろう。なぜなら子供は確立されたルートを持ち合わせていないからだ」と言うように、まだ全てが未解明の子供達の世界では、当たり前のことなど存在せず、一つ一つのカラーが貴重とされています。しかし後に、そのカラーが他の色で染められてしまう日が待っている事を私たちは知っています。

↑アメリカの教育は小さい時から皆んなの前で自分の意見を言う練習をすることから始まる (リンク)

↑アメリカの教育は小さい時から皆んなの前で自分の意見を言う練習をすることから始まる (リンク)

1990年代の音楽市場を席巻していた小室哲哉氏に「僕を終わらせた」と発言をさせたニューヨーク生まれの宇多田ヒカルは、当時15歳で作詞作曲を手がけ、デビュー作で爆発的ヒットを飛ばしたのは、アメリカベースの感覚である「独自のオリジナルカラー」を恐れることなく出したからではないでしょうか。

意識的に人と違った何かを創りたがるひとに多く見られる失敗は、他人の狙わないポイントを狙おうとヘンに意識をしてしまいかえってよい物ができない事だと宇多田ヒカルは指摘しています。「もうちょっと普通でいいんじゃない?」と発言する彼女は、本当の個性や想像力とは、どんな環境においても不動なものであるため、「自分」であるべきだと述べています。(1)

↑本当の個性や創造力とはどんな環境においても「自分」(リンク)

↑本当の個性や創造力とはどんな環境においても「自分」(リンク)

型にはまった考え方」という言い方をよく耳にしますが、この小さい型(ボックス)は、恐れ、無力、孤立、仮定、精神的混乱、そして狭い視野の6つの感情から成り立っているとニューヨークのコンサルティング会社「Idea Campions」の共同創立者兼社長であるミッチ・ディッコフ氏は説明しています。

例えば、人と違った事をすると浮いてしまうことに対する「恐れ」や、個性を出して目立つと、グループでは馴染めないという「孤立」感など、ディッコフ氏が説明するこれら6つの感情とは、私たちが周りの人の反応を気にするがゆえに湧いてくる感情なのです。

一般的に私たちは、学校や会社で経験を積む中で、知らず知らずのうちに自分自身をこの小さなボックスに収まるように、個性を際立たせない「普通の人」へとリシェイプさせます。

↑私たちの社会では目立たない「普通の人」の方が好まれる (リンク)

↑私たちの社会では目立たない「普通の人」の方が好まれる (リンク)

しかも、このようなプロセスは自分という一人のオリジナルな人間が確立される前の段階で始まってしまう為、多くの人が自分の事を100%十分に理解できていない状態で、他者や社会での常識などに意識を集中させてしまいます。

また、「個人の文化はその人の人格を作るにあたって最も影響のある環境要因の1つである」とも言われているように、自身を取り囲む環境に適応した自分が作られてしまう為、持って生まれるオリジナリティの色は失われていく傾向にあります。

↑早い時期から始まる自己形成プロセスで自分を見失ってしまっていないか (リンク)

↑早い時期から始まる自己形成プロセスで自分を見失ってしまっていないか (リンク)

自己形成のプロセスを他の人と同じように経験した宇多田ヒカルは、後に「外界の出来事にいちいち心を振り回されるのは時間とエネルギーの無駄にしか思えなかった。(中略) 外の世界のことは、ただ『知る』だけでよかった」と環境要因に簡単に影響されない、自分の中にある大切な物を守ってあげる必要があるはずと発言しています。(2)

宇多田ヒカルがブレないオリジナルな曲を提供できるのは、外の世界と自身の内面の世界の両方をしっかりと理解している上に、自身の内面を外と比べて「違うから変わろう」とするのではなく、しっかりと自分を受け入れる自己受容の体制が、自然な流れでとれているからなのかもしれません。

また、臨床心理学者であるロー医師が「明確になり、手に入れた無条件な自己受容は長期にわたり安定し続ける」と説明しているように、私たちもまずは自分を知り、よく理解してあげる事が重要なのではないでしょうか。

↑宇多田ヒカル「外の世界の事はただ「知る」だけでいい」(リンク)

↑宇多田ヒカル「外の世界の事はただ「知る」だけでいい」(リンク)

今話題を呼んでいる「ミニマリズム」は、自分を取り囲む物に対して優先順位をつけ、不必要な物を断捨離する事で自分をはっきりと見る事ができるとして支持を集めています。しかし、裏を返せばこのライフスタイルは消費社会のカウンター・カルチャーである為、ミニマリストとして新しく形成される「自分」は、逆にオリジナリティから遠ざかってしまっている気もします。

現に、「物事の本質に近づこうとすればするほど、自意識というものが邪魔になる。自意識を消すためには、外の世界に全感覚を開かないといけない」という宇多田ヒカルの考えから見られるように 、意識的にミニマリズムのスタイルを選んでしまうよりも、年を重ねていく過程で自然といらないものが削ぎ落とされていき、身軽になることで、子供の頃のように再び自分色に戻っていくのではないでしょうか。(3)

The New Yorkerのライターであるマルコム・グラッドウェル氏によると、芸術面では詩人などの多くのアーティストは、50歳を超えてから読み継がれる作品を残しているケースも多く、これは熟年期までの間に、取り入れた色々な事柄や経験を上手く自身の内面で消化してくことが自分への理解へとつながり、また無意識に不必要な物を上手く削ぎ落とす事が出来た結果なのかもしれません。

↑宇多田ヒカル「自意識を消すために、外の世界に全感覚を開かなければならない」(リンク)

↑宇多田ヒカル「自意識を消すために、外の世界に全感覚を開かなければならない」(リンク)

ワーウィック・ビジネス・スクールの心理学教授であるアンドリュー・オスワルド氏は、幸せの感覚はだんだんと変化すると指摘しています。驚く事に彼は、20代で感じていた幸せよりも、より幸せになれるのが80代と述べており、その理由として、20代の幸せは主に起こった出来事によって左右される一方、80代の幸せの源は人間の深い所にあり、人間自身がその気持ちをコントロールしているからだと言います。

宇多田ヒカルは、普遍性の中でしか見出せないものがあるとかつてから発言しており、「だからこそ大人になってから、だんだん個性ってもんは出てくるんだと思う」ともコメントをしているように、徐々に変わっていく自身の感覚のなかで、築き上げていく内面と外界の境界線のバランスの先に見出した物が、その人だけのオリジナリティなのではないでしょうか。

 

参考書籍
1.宇多田ヒカル「点 -ten-」(EMI Music Japan Inc./ U3music Inc.) p.75
2.宇多田ヒカル「点 -ten-」(EMI Music Japan inc./ U3music Inc.) p.8
3.宇多田ヒカル「点 -ten-」(EMI Music Japan inc./ U3music Inc.) p.18