ストーリー

One Life, One Thought
Vol. 4

白州次郎

ブレない人間は格好いい。そのためには自分の生き方の軸を持っていないといけない。

2016/06/22

Illustrated by KIWABI - Jiro Shirasu

白洲次郎は、政治の世界に身を置きながら、自分は農家だと断言する異色の人物で、「日本で最初にジーンズを穿いた男」と言われています。

当時外務大臣だった吉田茂とともにサンフランシスコ講和会議に向かう飛行機の中でも、周りの日本人が皆きちんとしたスーツを着用していた中で、白洲次郎はジーンズとTシャツで過ごすなど、戦後の激動の中で、とことんマイウェイを突き進んでいた珍しい日本人でした。

次郎と結婚した白洲正子は、女人禁制とされていた能の舞台で初めての演者となった人で、幼少期から芸術を通じて培った審美眼から、類まれな目利きとしても知られています。その正子が見初め、一生を添い遂げたことからも、白洲次郎はよほど稀有な魅力を持った人物であったといえるでしょう。

↑白洲次郎はサンフランシスコ講和会議においても重要な役割を果たした (United Nations Photo

白洲次郎は、当時の外務大臣・吉田茂の要請により、戦後処理のためにGHQとの交渉役を務めます。戦争に負けたことで、アメリカに劣等感を抱き始めていた日本の政治家の中で、次郎は唯一、キングズ・イングリッシュ(英国英語)を駆使して、神よりも偉い存在として見られていたGHQを相手に堂々と渡り合い、アメリカに飲まれそうになる日本を再建へと導きました。

次郎は、イギリスのケンブリッジ大学で学んだ、品格と誇りを生涯大事にしており、後にGHQの民政局長であったホイットニー准将との初対面の席で、「キミは英語がなかなか上手だね」と言われた際にも、「あなたも、もう少し勉強すれば上手になりますよ」と皮肉で返すほどに、誰に対しても怯むことはなかったと言われています。

次郎の毅然とした振る舞いは、GHQに「従順ならざる唯一の日本人」と評価され、敗戦国の立場でありながら畏敬の念を抱かせました。こうした次郎の強気な交渉と明確な戦後復興ビジョンがなければ、日本は敗者としての意識を引きずったままで、歴史的な成長を遂げることはなかったかもしれません。

↑どれだけ不利で立場が弱くても、自分の主張は徹底的に貫く (Daniela Vladimirova )

↑どれだけ不利で立場が弱くても、自分の主張は徹底的に貫く (Daniela Vladimirova

白洲次郎は、「人間として公平な態度をとること」を曲げることはなく、戦後の憲法草案も、敗戦国である日本の意見は通らず、アメリカ側が作成した草案を日本人が受け入れやすいように翻訳したものになりましたが、誰もがあきらめていた結果であってもなお、次郎は「今に見ておれ」と、ひそかに悔し涙を流しました。(『そのとき歴史が動いた:白洲次郎』)

次郎は、「ブレない人間は格好いい。そのためには自分の生き方の軸を持っていないといけない。」と語り、口癖のように「プリンシプル、プリンシプル」と言っていたそうです。この「プリンシプル」とは、「自分の軸となるもの」であり、さらに言えば、「何があっても絶対に譲れないもの」と考えることもできます。

↑絶対に譲れないものはハッキリと主張する (Funky64)

↑絶対に譲れないものはハッキリと主張する (Funky64)

政治の世界だけでなく、大企業など大きな組織は、少数の有力者で支配されることが多く、「トップに立てば好きなようにできる。下っ端はおとなしく言うことを聞けばよい」と考えられがちですが、時代が急速に変化する社会では、革新的な考えが重要になります。そのため、考えを持てる人が少ないトップダウンのシステムでは崩壊する傾向が高いと言え、社会を前に進めるためには、戦後の人々を鼓舞してきた次郎のような、理屈では片付けられない強い信念が必要です。

就職サイトunistyleの記事によると、近年、企業の求める人物像は、企業の色に染まりやすい真っ白な人ではなく、物事を最後までやり遂げる人や、既存の枠組みにとらわれずに成果を生み出すことができる人であり、パワーバランスではなく、意志貫徹の精神や独自の信念が、評価される社会に変わりつつあります。

↑自我を貫くことが評価される世界に変化しつつある (TechCrunch)

↑自我を貫くことが評価される世界に変化しつつある (TechCrunch)

パキスタン出身の人権活動家で、2014年にノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイは、「黙って殺されるか、声を上げて殺されるかというテロへの恐怖に満ちた社会であれば、声を上げる方を選ぶ」と決めた日から、実際に銃弾を浴びても平等な教育の権利を訴え続けました。さらには2015年、自身の18歳の誕生日に、自らの基金(MALALA FUND)で、レバノンにあるシリア人の難民キャンプに学校を開設しました

マララさんは、誰でも世界を変えることができると主張し、国連で行ったスピーチで次のように述べています。
「一人の子ども、一人の教師、一冊の本、一本のペン、それで世界を変えられるのです。」

↑黙って殺されるか、声を上げて殺されるか (European Parliament)

↑黙って殺されるか、声を上げて殺されるか (European Parliament)

諸外国の脅威と幕府の弱体化から、新しい強い国づくりを目指していた坂本竜馬は、「世間の人たちは、わしのことについて何とでも言うがいい。わしが考えていることは、わしにしかわからんのじゃきに。」と述べています。“目には目を”の社会で、「非暴力不服従」を貫いたガンジーにしても、世の中を動かすことが出来るものは、周囲の声に動じない一人の確固たる信念であることは間違いないでしょう。

2012年に「HUB Tokyo」を立ち上げ、グローバルに活躍する起業家を支援している槌屋詩野さんは、「将来性がある起業家に資金を提供したい投資家はたくさんいます。」と話しています

人や社会を動かすために必要なことは、白洲次郎のようにブレない軸を持ち、立場に左右されずに、自分はこういう考えなのだと主張することであり、それが世界に通用するために必要なパスポートになるのかもしれません。